グローバル化する世界では、市場システムがもとめる原理や思考が国境をものともせず、あまねく日常生活にまで浸透してくる。だが、さかのぼれば人間社会を市場経済が覆うようになったのはそれほど古いことではないし、資本主義的な市場経済が無条件で地上に存在できるようになったわけでもない。
経済人類学の開祖とされるカール・ポランニー(1886―1964)はのべている。
〈決定的なのは次のこと、すなわち、労働、土地、貨幣は本源的要素であること、そしてこれらもまた市場に組み込まれなければならないということである。事実、これら三市場は経済システムのなかできわめて重要な部分を形づくっている。
だが労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明らかである。売買されるものはすべて販売のために生産されたのでなければならないという仮定は、これら三つについてはまったくあてはまらない。つまり、商品の経験的定義に従うなら、これらは商品ではないのである。
労働は生活それ自体に伴う人間活動の別名にほかならず、その性質上、販売するために生産されるものではなく、まったく別の理由から産出されるものであり、人間活動は生活の自余の部分から切り離すことができず、貯えることも転売することもできない。土地は自然の別名にほかならず、人間はそれを生産することはできない。
最後に、現にある貨幣は購買力の象徴にほかならない。それは一般には、けっして生産されるものではなく、金融または政府財政のメカニズムを通して出てくるものである。これらはいずれも販売のために生産されるものではない。労働、土地、貨幣という商品種はまったく擬制的なものなのである〉(『大転換』吉沢英成、野口建彦ほか訳、東洋経済新報社)
ポランニーによれば、19世紀の文明は四つの制度に支えられていた。バランス・オブ・パワー(国家間の戦争を回避するシステム)、国際金本位制度、自由主義的国家、そして、自己調整的市場。
なかでも鍵となるのが自己調整的市場の働きであり、他の三つの制度が自己調整的市場にのっかる形で文明が形成されていた。