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伝説の数理経済学者 宇沢弘文先生を知っていますか?

経済学の巨人はなぜ資本主義と闘ったか
〈資本主義の不安定さを数理経済学で証明する〉。今から50年以上も前、優れた論文の数々で世界を驚かせた日本人経済学者がいた。宇沢弘文(1928-2014)。その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ、行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次の時代」を考え続けた信念の人だった。

宇沢の人生は20世紀の経済学史そのものと言ってもいい。弱冠26歳で渡米し、ケネス・アローやポール・サミュエルソンといった大物経済学者と親交を深めながら、「二部門モデル」をはじめ、世界の経済学をリードするような論文を次々と執筆・絶賛された。ところが、1968年に日本に帰国して以降、宇沢は自らの経済学者としてのスタンスを大きく変えていくことになる。

以下は、宇沢弘文86年の生涯を640ページの評伝にまとめた大宅賞作家の佐々木実が記した巻頭の文章である。

世界から称賛された天才数理経済学者は、なぜ突然「長い沈黙」に入ったのか。
経済学の発展に寄与しながら、なぜ経済学を徹底批判するようになったのか。
私たちはなぜ、今日のような市場原理主義の時代を生きているのか。

「資本主義の論理」に束縛されず、人間が平和に暮らせる方法はあるのか。

佐々木は、本書で、それらの「謎」の数々に挑んでいる。

はたして「謎」は解き明かされるのだろうか。

市場経済と「人間」の誕生

グローバル化する世界では、市場システムがもとめる原理や思考が国境をものともせず、あまねく日常生活にまで浸透してくる。だが、さかのぼれば人間社会を市場経済が覆うようになったのはそれほど古いことではないし、資本主義的な市場経済が無条件で地上に存在できるようになったわけでもない。

 

経済人類学の開祖とされるカール・ポランニー(1886―1964)はのべている。

〈決定的なのは次のこと、すなわち、労働、土地、貨幣は本源的要素であること、そしてこれらもまた市場に組み込まれなければならないということである。事実、これら三市場は経済システムのなかできわめて重要な部分を形づくっている。

だが労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明らかである。売買されるものはすべて販売のために生産されたのでなければならないという仮定は、これら三つについてはまったくあてはまらない。つまり、商品の経験的定義に従うなら、これらは商品ではないのである。

労働は生活それ自体に伴う人間活動の別名にほかならず、その性質上、販売するために生産されるものではなく、まったく別の理由から産出されるものであり、人間活動は生活の自余の部分から切り離すことができず、貯えることも転売することもできない。土地は自然の別名にほかならず、人間はそれを生産することはできない。

最後に、現にある貨幣は購買力の象徴にほかならない。それは一般には、けっして生産されるものではなく、金融または政府財政のメカニズムを通して出てくるものである。これらはいずれも販売のために生産されるものではない。労働、土地、貨幣という商品種はまったく擬制的なものなのである〉(『大転換』吉沢英成、野口建彦ほか訳、東洋経済新報社)

ポランニーによれば、19世紀の文明は四つの制度に支えられていた。バランス・オブ・パワー(国家間の戦争を回避するシステム)、国際金本位制度、自由主義的国家、そして、自己調整的市場。

なかでも鍵となるのが自己調整的市場の働きであり、他の三つの制度が自己調整的市場にのっかる形で文明が形成されていた。