乙武義足プロジェクト――このストーリーの始まりはいまから3年前に遡るのだが、ここではさらに40年ほど、時計の針を戻すことにする。

『およげ! たいやきくん』が大ヒットし、田中角栄前首相が逮捕された1976年の暑い夏の日、まだ生まれて半年にも満たない私が、かつて東京都新宿区にあった東京都補装具研究所を母と二人で訪ねるところから、私の義足物語は幕を開ける。

母は「かわいい」と言った

1976年4月6日。私は横浜の日本赤十字社医療センター(当時)で産声を上げた。

一般的な出産なら、生まれて一週間もたてば母とともに退院して自宅に戻るものだろう。しかし、私には両手足がなかった。「先天性四肢欠損」というかなり特殊な身体で生まれたため、生後1ヵ月の間は、母と会うことすらかなわなかったのだ。

その1ヵ月は、母にショックを与えないようにするための配慮の期間である。「黄疸が激しいから」という言い訳をこしらえて私だけが病院に残り、母は毎日母乳を届けるために通院するという日々が続いた。母乳を看護師さんに渡したら、それでおしまい。私の顔を見ることすらできないなんて不審に思ってもよさそうなものだが、超楽観的な母はその状況を疑うことなく受け入れ、私に会える日を心待ちにしていたという。

記念すべき対面の日。さすがに黄疸ではないことは事前に知らされていたものの、肝心の「両手両足がない」ことは伏せられ、「身体に少し異常がある」とだけ伝えられただけで、母は私の待つ病室に向かった。

母は、両手両足のない私の姿を見て「かわいい」と笑顔で呟いた。

ショックで泣き崩れることも、目を背けることもなかった。

母は、私に会えたことの喜びを、その一言で私に伝えてくれた。