撮影:西﨑進也

山根明・前会長が明かす「ルーツ、密航、強制送還の過去」

「無国籍だった私が日本人になるまで」

過去の名前

 「文甲明(ムン・ガムミョン)」。

一時期インターネット上で出回っていたこの名前を、目にしたことがある読者もいるかもしれない。日本ボクシング連盟前会長・山根明氏の「過去の名前」だ。

これについて山根氏は、3月22日に上梓した著書『男 山根 「無冠の帝王」半世紀』(双葉社)の中で、こう記している。

〈「左記(下記)の者の申請に係る日本国の帰化の件は、これを許可する。
昭和55年4月23日
法務大臣 倉石忠義
住所 大阪市淀川区十三東4丁目7番2号
文甲明(山根明、文沢明) 昭和14年10月12日生」

これは私が40歳で日本人に〝なった〟時に、官報に記載された文言だ。私自身、官報でこんな告知がなされていたなんて、騒動で渦中の人となるまで知らなかった。私が在日韓国人だという「噂」を耳にした連中が、官報を熱心に検索して探し出したという。まったくご苦労なことだ。

私は、在日韓国人だった。だが断言するが、自分が在日韓国人であったことを一度も隠したことはない。

むしろ、父祖の地である大韓民国、朝鮮半島のことを思うと心が熱くなる。その一方で、私は日本人としてのプライドも人一倍強く持っている〉(『男 山根 「無冠の帝王」半世紀』第2章P56より)

在日韓国人「だった」。日本人に「なった」――。

山根氏のこのような表現に、違和感を覚える向きも少なくないことだろう。しかし確かに現在、山根氏は日本人であり、「山根明」という名前も本名である。今回、氏は自身の数奇な人生についても包み隠さず語った。

 

自分のルーツを知らなかった

「私はね、本にも書いた通り、自分の出自について一度だって隠していたことはありませんよ。ただ、日本ボクシング連盟の会員になる際、『日本の看板を背負う以上は日本人であるべきだろう』と、日本国籍を取得した。それからは、れっきとした日本人です。

そもそも私は日本で生まれて、大阪で出生届を出されています。もしも日本が戦争に負けなかったら、もしも大村収容所に入れられるようなことがなかったら、最初から最後まで、日本人として生きられたはずだったんです」

昭和14(1939)年10月12日、山根氏は大阪府堺市で生まれた。

韓国で両班(ヤンバン:官僚などの職位を担った貴族階級)であった父方の祖父が日本に渡り、山根氏の父親もまた、日本で生を受けている。母親は韓国生まれで、祖父母と共に日本に渡ってきた。

両親とも明治43(1910)年の日韓併合後に生まれており、当時の位置付けで言えば「朝鮮半島系日本人」、いわゆる「コリアン・ジャパニーズ」だ。

山根氏は、後に韓国に“帰国”せざるを得なくなるまで、自身のルーツが韓国にあることを知らなかったという。

「当時は自分が韓国にルーツがあると聞かされても、まったくピンときませんでした。韓国で生まれた母でさえ、家では日本語でしたから、私は日本語しか話せませんでしたしね。

それが、昭和20年8月15日の終戦を迎えてすぐ、6歳の頃に、母と幼かった兄弟たちと一緒に、祖父の故郷だった韓国の三千浦に帰されることになったんです。“韓国に帰る”という言葉に、大きな違和感があったことは今も覚えています」