チキンラーメンはかつて「西日本の食べ物」だったかもしれない

『まんぷく』を見て思い出した!
堀井 憲一郎 プロフィール

カップヌードルの容器にチキンラーメンを入れる

カップヌードルが京都で売り出されたのは覚えている。

カップヌードルは1971年の売り出しらしいのだが、私の前に出現したのは1972年になってからである。中学三年になってから食べた、という記憶になっている。

最初の一個を買ったのは、京阪三条駅の構内の売店だった。1個120円だったようにおもう。市電の運賃が30円だったから、けっこう高い。

夜に自室で一人で食べた。容器は洗って保存して、そのあとはチキンラーメンを割って食べた。このころ、カップヌードル容器にチキンラーメンを入れて食べたという人はけっこういたとおもう。ただし、チキンラーメンがふつうに手に入るエリアの人だけだけど。

当時の感覚としてはカップヌードルはやや贅沢品、チキンラーメンが日常品という感じであった。
 
1978年当時、東京ではチキンラーメンは売られてなかったという記憶は正しいのか、日清食品に聞いてみた。

広報に確認したところ、「その当時も東京でチキンラーメンは売られていた」とのことである。

おやおや。

チキンラーメンは全国で発売していたので、東京エリアで売ってないという時代はないそうだ。

ただやはり関西に比べて、関東の販売網は弱かったらしい。

私が、かなり探したけれど見つからなかったんですが、というと、そういうこともあったように聞いています、とのことである。

 

「東京で売ってない」ということはない。でも「東京では手に入らなかった」ということは充分にありえる、ということのようだ。

インターネットどころかコンビニさえ身近に存在しない時代だから、東京のどこかで秘かに売られていても、見つけられるものではない。東京では、やはりチキンラーメンをほとんど見かけない時代があったのだ。

朝ドラ「まんぷく」ではチキンラーメンは1950年からずっと売られていたこように描かれているが(関西エリアはそうだったろうが)「いや、子供のころ、そんなの食べたことなかった」という人たちもある程度いるはずである。関西人には、それがわかりにくい。

あらためて昭和のむかしの「関東と関西の文化の差」におもいいたる。

1970年代は、まだまだ日本各エリアの独自性が強かった。 

大阪の食文化と東京の食文化は、いまよりもっと違っていた。

先にも書いたとおりに「肉」といえば関西では牛肉のことだった。だから関西には「牛丼」という食べ物はなかった。うどん屋でそういものは「肉丼」と呼ばれていた。「牛丼」が全国語になるのは、吉野家が全国展開してからだとおもわれる(吉野家の全国展開は、ちょうど1970年代の後半だったはずだ)。