# 心理・精神医学

「自閉症」から読み解く、若冲が大人気になった本当の理由

21世紀的な若冲と積極的奇異
竹中 均 プロフィール

ウォーホルと若冲の共通点

若冲作品に見られる別の種類の反復を取り上げよう。それは、若冲特有と言われる「桝目(ますめ)書き」である。まるでタイル貼りの壁面のように、画面全体を無数のマスで区切り、1マスごとに色を塗っていく技法である。

photo by gettyimages

最近の研究によれば、桝目書きは西陣織の下絵にヒントを得たとされている。ただし、下絵と言っても、絵画の下絵とは異なり、織りの機械的な行程のための「設計図」(上記のクイズ番組内での表現)のようなものである。

西陣織が、絵画的表現を機械によって工芸品へと変換しようとする営みであることを思えば、若冲の場合には、逆方向に、絵画の方が機械的動作を模倣しようとしているのだ。

デジタル技術におけるピクセルを思わせる桝目書きは、ある意味では、機械が生み出す美に近い。これは、アンディ・ウォーホルがシルクスクリーンを活用したことを思い起こさせる。

アンディ・ウォーホル氏(photo by gettyimages)

ウォーホルは逆説的にも、大量生産されるスープ缶のイメージから、稀少性のオーラをまとった破天荒に高価格な作品を作り出した。若冲もまた、西陣織の効率的な生産システムから、1マス1マスを手描きしていくという、効率性とは正反対の作品を生み出した。

両者に共通しているのは、同じものを個性抜きに大量に作り出すことを目指す機械的な仕掛けからインスピレーションを得て、ただ1つ、あるいは少数しかない稀少で強烈に個性的な作品を生み出すという逆説を利用したという点である。

機械が生み出す反復は、たいていの人々にとっては、大量に作り出す経済的効率性のための手段である。だが、若冲やウォーホルにとっては、そのような功利的な目的ではなく、純粋に反復が好きだったのではないだろうか。

 

実際ウォーホルは生前、「機械になりたい」と公言していた。この20世紀を代表する芸術家については、現在の視点では、伝記的事実の検討も踏まえた上で、自閉症的だったのではないかと考える向きがある。

「機械になりたい」という発言は、人間同士の間に成り立つ不定形で予測不可能な関わり合いよりも、機械や動物との安定的で予測可能な関わりの方に安心感を抱きやすいとされる自閉症者を思い起こさせる。

深く、丸写しする絵画

狩野派の絵画を学んでいた若冲は、対象を直接見て絵を描こうと決意し、庭に鶏を飼って観察したと言われている。そのような姿勢に、若冲のユニークさと魅力の源泉があるというわけである。ここまでは、現代においても共感し理解しやすい。

だが、クイズ番組でも取り上げられていたが、若冲は日本にいない虎を描く際には、外国画家の描いた先行絵画を背景や細部も含めて「丸写し」していた。虎がいないのだから仕方ないとは言え、そこまで丸写しする必要はないのではないかと思ってしまうのが人情だろう。

ここで思い出されるのは、自閉症のある子どもは、「ごっこ遊び」は苦手だが、「なりきり遊び」が好きな場合があるという知見である。「ごっこ遊び」には、自分の役割を演じる社会性が必要とされる。それに対して、テレビ番組のキャラクターに成りきることは、必ずしもそのような社会性を必要とはせず、むしろ視覚的な「丸写し」が重要である。

見かけをコスプレ的に精密に写しはしても、アレンジによって中途半端な個性は発揮しない。そこにあるのは、コピー&ペーストの精神だと言えよう。それは、21世紀のデジタル社会が育んだ時代精神でもある。

さら言えば、虎の絵を丸写しした上で若冲は、細かな体毛を反復して根気よく描き込んでいる。これはオリジナルにはなかった若冲ならではの特徴である。

「積極的な奇異」が開く世界

クイズ番組では、上記のような魅惑的な動物画とともに若冲の数少ない人物画も紹介され、その描写のぎこちなさや奥行きの無さが指摘されていた。

およそ社交的ではなかったとされるその人物像から、「他の人をあまりよく見てこなかったからでは?」という回答者のコメントが印象的だった。

もっとも、若冲は単純に孤独な人ではなかったという近年の研究もある。この点は、今後、慎重な検討が必要ではあるだろう。

ただ、近年の自閉症研究においても、自閉症者イコール「閉じこもった人」というステレオタイプなイメージが適切ではないことが指摘されている。

その代表が、自閉症のいくつかのタイプの提唱、とりわけ「積極奇異型」の提唱だろう。

自閉症者もまた、定型発達者と同様に、世界と他者に対して積極的と呼んでよいほど関心を持つ場合がある。ただその関心の形が「奇異」(odd)なのである。それゆえ、他者と摩擦を引き起こしてしまう場合があるのだ。

このようなタイプの存在は、比較的近年まで気付かれずにいた。だが近年、過去の芸術的天才たちのなかにこのタイプがいたのではないかと推測されるようになってきた。

すなわち、「奇想の画家」ならぬ<奇想の人>としての自閉症者イメージの登場である。伊藤若冲が小動物のミクロコスモスに惹きつけられる姿を、現代の自閉症者の姿と重ね合わせるのは、はたして奇想に過ぎるのだろうか。

展覧会へ押し寄せる普通の人々は、美術史の正統な理解の流れとは関わりなく、積極奇異な眼差しを若冲絵画へ注いでいるように思われるのだが。

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