なぜ日本と韓国の間で「桜の起源論争」はこれほど長引いたのか

桜を愛でる文化は日本が育てたが…
青山 潤三 プロフィール

最後に、私が言いたかったこと

さて、筆者は約2年間、20回あまりこの「現代ビジネス」でコラムを掲載してきましたが、残念ながら筆者の力量不足で、今回が「ひとまずは」最後の掲載となります。

継続的に取り組んできた中国や琉球の自然についても、途中で終了してしまうことになります。楽しみにしてくださっていた読者の方々に、お詫びを申し上げます。いつかまた続きを読んでいただける機会があるかもしれません。それまでお待ちいただければ幸いです。

これまで執筆してきた記事を通して、筆者が本当に伝えたかったこと。それは突き詰めて言えば、「真実は一つではない」「正義は一つではない」ということの確認です。

 

現代社会では、特にメディアにおいては、情報を発信する側もそれを受け取る側も、何らかの「答えに直結する情報」だけを「価値がある」とみなし、必要としているように感じられます。

人間にとって快適な空間を創り上げる、近代的で、科学的で、能率的で、即効性があり、社会に貢献することだけが求められ、必要のないもの、無駄なもの、非生産的なものは置き去りにされ、排除されています。

その結果、例えば観光資源にならないただの山野などは切り捨てられることになります。日本の山野が全て人間の管理下に置かれ、本来の「自然」が消滅してしまったときには、野生のサクラも消滅してしまうでしょう。

別に自然の山の中に桜が生えている必要はない、庭や公園や植物園に移植すればいい、という考え方もあるでしょう。研究室の試験管の中ならば、いくらでも種を維持できる。人の手でいくらでも新しい品種を作り出すこともできる。それで困らないし、むしろ能率的で好ましい、と。

しかし筆者は、それは違うと考えています。なぜ違うのか――筆者の記事をきっかけに、読者の皆さんも考えてみてくれればうれしく思います。

中国の野生ザクラの一種