関東大震災の混乱が生んだ「日本型出版流通システム」とは何か

大衆は神である(44)
魚住 昭 プロフィール

注文も取りましょう、送る手配もつけましょう

元取次が『大正大震災大火災』引き受けに難色を示した理由は他にもある。彼らは言った。

「何しろ単行本だから、いったん見本的に配本して見て、売れ行きがよくて追加注文があればいくらでも送るが、そうでないとせっかく送っても送り返される心配がある。あるいは勝手に送ったというので支払いを渋られるかもしれない」

「本を送るにも店員は震災後、郷里に帰ったり、他所に行ったりしているので、今は店に人がいなくて荷造りもできない」

赤石は各社の言い分を聞いたうえでこう反論した。

「注文がなければ送れないというのなら、わが社で注文をとってあげたらいいのでしょう。注文があれば無論いくが、送る手配がつかないというのなら、私のほうでそれも手配します。鉄道で一箱ずつ重量を計ったり、料金を算出したり、この忙しい中で到底できないというのなら、鉄道省の方で雑誌同様に簡単に扱ってもらうようにお願いしてみます」

赤石の説明を受け、取次側も「それができるのならいいだろう」と納得した。

そう決まると、講談社の少年社員たちが都内全部の書店を巡回して注文をとって回った。少年のみならず、社員らも北は北海道から、南は九州まで書店を歴訪して注文数を電報で通知した。

あとは宣伝である。新聞広告、ポスター作製はもちろんのこと、60万枚の葉書に発刊趣旨を印刷し、全国の書店、官庁、学校などに送った。それも被災地の郵便局には十分な発送能力がないので、少年たちを浦和や熊谷など首都圏周辺の郵便局に行かせ、そこから投函した。

「この際は雑誌並みの荷造りで結構です」

赤石は、清治の紹介状を携え、鉄道省の総務課長・鶴見祐輔を訪ねた。鶴見は第2章で述べたように、かつての緑会弁論部の花形で、『雄弁』創刊メンバーの一人である。

赤石は『大正大震災大火災』発刊の経緯を述べ「ぜひ雑誌並みに取り扱っていただけるよう特別のご配慮を願いたい」と懇望した。すると、鶴見はこう答えた。

「この際は雑誌並みの荷造りで結構です。しかし、料金は雑誌並みというわけにはゆきませんよ。ふつうの料金と承知して下さい」

講談社は鶴見から「荷造りは雑誌並み、料金は書籍」の許可を取りつけると同時に、大野孫平の東京堂に働きかけ、書籍を雑誌ルートに乗せて流通させる道を開いた。これは近代日本の出版販売史上、画期的な出来事だった。