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新元号の発表前に再考、元号が「借り物の字」で出来ている意味

元号を考える【前編】

新元号の発表がいよいよ4月1日に迫っている。ところで、こんな疑問を抱いたことはないだろうか。「なぜ元号の典拠は、日本の古典ではなく、中国の古典なのか?」と。コラムニストの堀井憲一郎氏が、元号の起源までさかのぼり、前後編にわたって考える。そこで見えてくるのは、元号というシステムが「借り物」であるということだ。

中国王朝のシステム

まもなく新元号が発表される。

元号というのは、21世紀の社会から見れば、かなり奇妙な存在である。

みんなもうすうすそう感じている。

ただ、そこを深く掘ってもどこにも行きつかないということも直観的に感じられるから、そのへんは触れないままになる。まあ、みんな、忙しいからね。これから日常的に使うツールのひとつにもなるので関心は高いのだが、深く関わろうとはしない。

元号は漢字二文字で表される(例外的に四文字だったことが奈良時代に少し流行ったが、基本二文字である)。

そもそも元号は日本のシステムではない。

漢字二文字で(ときに四文字で)年を表すというシステムもべつだん日本人がやりたかった方式ではないだろう。

中国王朝のシステムである。

元号そのものは「漢」の時代から始まったものとされている。

どうやら「皇帝システム」と直結しているようだ。

中国の各地にいろいろいた「王」を圧倒し、それをまとめ、広大なエリアをひとつの国にしたのは秦の始皇帝である(西洋紀元で言えば「キリスト生誕の前221年」)。

その「皇帝の誕生」から80年のち、漢の七代皇帝「武帝」の時代になって元号が始まったとされる。それ以前の年の表記は、王の在位年数で表されていた。たとえば「秦の始皇帝の二十六年」というように、王(皇帝)が即位した年から何年目という数え方がふつうであった(だから始皇帝の中国統一は、中国の年代表記でいうならば、始皇帝元年としか表せない)。

武帝の時代に始まったというのは、「統一国家としての中国王朝の支配」が安定してきたからだろう。天の意志でその地位にある皇帝は、時間基準も設定できる存在であると示し始めた。それが元号(年号)である。皇帝は時間基準を自由に変えられるのだ。

 

多民族が支配していても元号を使い続ける

「元号」は世界の中心にいる中国の皇帝とともにあった。

それ以来、清王朝が終わり、皇帝がいなくなるまで、中国では元号を使用してきた。ときにその支配エリアはかなり狭いこともあったが、正統王朝があるかぎり元号が存在していた。

中国の凄さは「元」や「清」のように中国人(漢人)ではない民族が支配者になっても、正統王朝として認めるところにあるとおもう。きわめて文化的であり、とても暴力的である(つまり、権力奪取は完全な暴力行為で(戦って、人を殺し続けて)行われるが、そのあと文化的手順を踏めば正統と認められるということである。いまの中国共産党支配システムもきちんとそれを継承している)。

中国王朝は、自分たちは「中国という国を支配している」とは考えていない。

世界の中心にいると考えている。彼らはいつも「世界の中心」で何かを叫んでいるのだ。