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絶対ない、とは言いきれない…「超愛国的」元号候補を考えてみた

「愛国」「八紘一宇」…

来たる4月1日、新しい元号が発表される。たった2文字であり、一定の法則性も認められることから、巷間その予想で持ちきりとなっている。

ただ気になるのは、今回その典拠に国書が選ばれるかもしれないと報道されていることである。

つまり、これまでのように中国古典の『易経』『書経』『史記』などからではなく、日本古典の『古事記』『日本書紀』『万葉集』などから、元号の文字が選ばれる可能性があるというのだ。

なるほど、現政権下であればいかにもありそうな話ではある。となると、保守派待望の、戦前にも使われていたような「超愛国的」な文字や部分が使われるのではないか、との心配も浮ばないではない。

「いやいや、さすがに安倍政権でも。候補を出すのは有識者だし……」。それはもっともな指摘だけれども、今日の情勢では完全に疑念を払拭できないのもまた事実。

そこで、たぶん選ばれないだろうが、しかし絶対に否定もできない、危うい「超愛国的」な元号候補について考えてみたい。

今回は外れたとしても(個人的にはそう願うが)、国書が典拠となりうる限り、いつの日か選ばれる日がくるかもしれない。

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「愛国」の可能性は

第一の候補は、ずばり「愛国」である。愛国元年、愛国2年……。なんというディストピア感。とまれ、この文字は『日本書紀』にでてくる。その経緯はこうだ。

661年、斉明天皇の時代、大伴部博麻(おおともべのはかま)という日本軍兵士が、百済救援の戦いで唐軍に捕らえられた。

この一捕虜は、その3年後歴史に残る行動に出た。すなわち博麻は、唐の日本出兵計画を知るや、本国に伝えるため、なんとみずからを奴隷として売り払い、その資金で仲間を帰国させたのである。

 

結局、博麻が帰国できたのは、690年、持統天皇の時代だった。在唐はじつに30年に及んだ。天皇はその苦労を褒め称え、かれにつぎのような言葉を与えた。

「朕嘉厥尊朝愛国、売己顕忠」(朕、厥[そ]の朝を尊び国を愛ひて、己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ)。

「自分は、おまえが朝廷を尊び国を思い、己を売ってまで、忠誠を示したことを喜ぶ」(宇治谷孟訳)。そして天皇は、博麻に布や土地などの褒美を与え、3代にわたって課役を免除したという。

いかにも「愛国者」好みのエピソードだ。この話は、『日本書紀』ならぬ『日本国紀』(百田尚樹著)でも紹介されている。安倍首相も年末年始に同書を読んだそうだから、当然知っているだろう。

新しい元号は愛国――。文化大革命のような衝撃的センスだが、「超愛国的」という条件にこれほど当てはまるものもほかにあるまい。