平成の時代のほろ苦い群像劇…「横道世之介」がかえってきた

吉田修一さんインタビュー
吉田 修一 プロフィール

こだわりを持たない幸せ

―世之介って、世間がイメージするような「いい人」とは少し違いますよね。例えば、本作で恋人になるヤンママ・桜子と知り合うきっかけは「のぞき」ですし(笑)。

そうそう、しかも仕事がない状態のまま桜子の家に転がり込んで、その子供の「ビックリマンチョコ」を盗み食いするという(笑)。ぜんぜんいい男なんかじゃない。でも、そういう世之介だからこそ変えられることってあると思うんですよ。

例えば、浜ちゃんがいじめに遭っていると人づてに知らされる場面。主人公ならすぐに飛んで行って慰めたり励ましたりするのが定石なんだろうけど、人は本当にしんどいときに踏み込まれると、かえって心が閉じてしまうこともある。その点、世之介は心配はするものの、結局は会いに行かない。だからこそ浜ちゃんのほうから自分のペースとタイミングで会いに行ける。

簡単なようでいて、そういう機会を相手に自然に作ってあげられる人間って、なかなかいないんじゃないかと思います。

 

―世之介がアルバイト先の社長に気に入られ、正社員登用の話を持ちかけられるも、他の社員の妬みを買って小銭泥棒の濡れ衣を着せられる場面があります。

ところが世之介は怒らず、ぶつけられた悪意をその場に置き去りにするように、すっと身を引く。あのシーンはとても印象的でした。

勧善懲悪の企業ものだったら後で鮮やかな仕返しをするところですよね(笑)。でも世之介は何のフィルターも通さず、素直すぎるくらい素直に物事を見ているから、キレるでもなく土下座するでもなく、ただ状況を受け入れる。

彼は「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」ということを、ちゃんと理解しているんです。この「こだわりのなさ」が、書き手である僕にとっても魅力を感じる部分であり、彼の幸せの根っこなんでしょうね。

―この作品は、ストーリーの構造もちょっと変わっています。特定の主人公を据えた小説の場合、たいていは個々のエピソードがやがて主人公の物語へと収斂していくのに、『世之介』の場合はそうではない。

いうなれば、これは「世之介と出会った人たちのための物語」なんですよね。世之介の視点で読んでいるうちに、ふいにその頃の思い出を振り返っている「未来の誰か」の視点になる。しかも、世之介のことはぼんやりとしかおぼえていない状態。つまり、あくまで主人公の周縁で物語が動いていくという。

―中心に向かう力が希薄なぶん、あちこちで小さな物語が浮かび上がる。その姿は「平成」という時代そのものを象徴しているような気もします。

確かに、そうかもしれないですね。高良君が「横道世之介は僕にとってのヒーローです」という帯文を書いてくださったときは恐れ多いような気もしたのですが、いまになって腑に落ちました。

ある意味、「大きな物語」が抜け落ちたことで呪いが解け、小さくて豊かな物語がたくさん見えるようになったんだとしたら、この時代も案外、悪くはないのかもしれません。(取材・文/倉本さおり)

『週刊現代』2019年4月6日号より