左遷は祟り⁉ 東京・大手町に存在する「日本史ミステリー」の真相

意外と身近な「平将門と3つの謎」
乃至 政彦 プロフィール

ひとつの微風

ここで暗雲を動かすため、軽い風を呼んでみよう。

将門のもとに巫女が現れたとき、坂東の為政者(受領)たちは戦乱を恐れ、京都へ避難していた。かれらは民衆を搾取の対象としか思っておらず、その生活を保護する責任感や使命感など一切なかった。

置き去りにされた民衆は、みな将門を見た。『将門記』は将門を「失意の人を救けて元気を与え、声をあげられない者を顧みて力を貸す」、そういう男だと評する。かれは弱者を見捨てられない。ここまで幾度となく救いを求める者たちを命がけで助けてきた。巫女の神託は「我々を救って欲しい」という民衆の懇望を伝えるものだったのだろう。

そこで将門は「新皇」の尊号を受けた。かれらの未来を切り開くには、偶像ではなく人間として起つべきだと判断したのだ。この選択が巨大な悲劇を生むことも見えていたに違いない。だが、それでも将門はあえて起ち、「神鏑」を受けるまで奮闘したのである。

実際は「神鏑」ではなく、人間の手で殺害されたはずだが、『将門記』はファンタジー描写で真実を隠蔽している。隠蔽理由は同書をほんの少し意地悪く読み直せば、あっさりわかるようになっている。しかし、われわれは文章を素直に受け止めすぎて、1000年間、騙され続けてきた。

その結果、将門は現世を怨む祟り神と化してしまった。あらゆる困難を科学が解決するという平成の世に、その怨霊譚は誇張され、鬼のごとく恐れられることになったのだ。

虹の向こうに待つもの

人として生き、神と仰がれ、鬼にされた平将門──。真の姿はいずれにあるのか。こうした暗雲を取り払おうと書き上げたのが、拙著『平将門と天慶の乱』である。

序章では、その怨霊譚に注目して「鬼」の姿を追ってみた。第1章から第8章まで、将門が生きた時代に「人」としての実像を探った。そして終章ではいまいちど、死後に広がる将門伝説を検証し、かれが「神」かどうかに迫った。これで3つの謎が解けると思う。

一通りの仕事を終えたいま、わたしの心は安心感で満たされている。1000年あまり前の歴史を覆う暗雲を取り除いてみたら、現代人にも理解可能な人間・将門の姿が現れたからだ。

風によって雲が消えたあと、そのときだけ浮かぶ虹の彩りが、皆さんの目にも見えたら、これに過ぎる喜びはない。