左遷は祟り⁉ 東京・大手町に存在する「日本史ミステリー」の真相

意外と身近な「平将門と3つの謎」
乃至 政彦 プロフィール

矛盾に満ちた新皇即位

ひとつ目は、その即位に秘められた謎である。

天慶2年(939)12月、坂東を鎮定した将門は「新皇」の尊号を私称した。だが、独自の国号を定めることなく、年号も変えなかった。将門の帝国は、日本国内に京都の年号を使って建国されたのである。

帝国の辺境に独立政権を打ち立てるというのに不可解ではないか。

しかも将門はその直前、京都の太政大臣に宛てて「私君」と敬意を払い、常陸国を制圧したことを「わたしは一国を滅ぼしてしまった」と猛省するような手紙を送っている。

将門に影響されたものか、その配下たちも、京都の天皇を「本皇」と呼んで、過去の因縁を捨てきれていなかった様子がうかがえる。

このためか、「新皇即位は事実ではない。酒席での冗談だった」とする擁護論まである。しかし、将門は同じ手紙で「わたしは高貴の血筋ですから、日本の半分を領有しても問題ないでしょう」とも述べており、まったく叛意がなかったとは言い切れない。

かれは根っからの悪人や野心家ではなかっただろう。それがなぜ「新皇」の僭称に至ったのか。新皇即位という第1の暗雲は、当時の背景を見渡し、その政治的意図を探らなければ、解き放てないだろう。

新皇は鬼か神か

「将門──ッ、鬼か神か……!」

これは大河ドラマ『風と雲と虹と』で、平将門(加藤剛)に苦戦する藤原秀郷(露口茂)が発したセリフである。

生前の将門は、愛馬に跨ると、鋭い太刀を握りしめ、声を揚げて敵勢を圧倒した。鬼のように強かった将門だが、それでも一個の人間であったのは間違いない。しかし坂東を制すると、八幡大菩薩が巫女に憑依して「将門に〝朕〟の位を授ける」と告げてきた。なんと、人から神に昇格させられたのだ。

この神託事件は、古くから論争の種とされている。「興世王などの謀臣が新皇即位のために仕掛けた芝居ではないか」とか「いや菅原道真ゆかりの者が将門を唆したのだ」などと諸説が入り乱れていて、いまだ定説がない。

将門は人か、それとも鬼か神か。この神託事件が第2の暗雲である。

なぜか文学的に亡くなった新皇

将門の言動を伝える戦記として『将門記』がある。同書は、途中まで純然たる実録の形式を通しているが、終盤になると、ちょっと信じがたいような非現実的な描写が現れる。神さまが人間の声に耳を傾けて動き出すのだ。

(将門の乱に悩む天皇が)南都の七大寺から名僧を呼び集め、「この災害をお留めください」と願って、17日間の儀式を行うと、その意思が通じた。八神が「神鏑」を東方の賊(将門)に向けて射放ったのだ。

この後、将門は朝廷軍と交戦するとき、順風を味方につけて、弓戦を優位に進めた。だが、勝利眼前と思われたとき、風向きが急変して、窮地へ追いやられてしまう。

新皇(将門)は甲冑を着て、駿馬を走らせて自ら戦っていたが、ここで天罰がくだったものか、馬の勢いが落ち、人の武勇も精彩を失った。馬上の新皇は見えない「神鏑」に当たり、ひとりで地に倒れた。

戦記というのは、実録の歴史書である。だから、本来は幻想文学であってはならない。ところが、ここでなぜか将門はまるでファンタジー小説のように、神さまが放ったマジックミサイルに貫かれて亡くなってしまうのである。神鏑が届くまでの時間差は数ヵ月、距離では京都と坂東の開きがある。

この不思議な描写が、第3の暗雲である。