日本企業の生産性を引き下げる「ご挨拶テロ」に気づいていますか

これは日本社会のムダの象徴だ
加谷 珪一 プロフィール

一連の出張にかけた時間や出張費用、そして社員の人件費を考えると、この分を他の仕事に費やしていればどれだけの利益を上げることができただろう。

こうしたムダな振る舞いは、国内のビジネスにおいても日常的に行われている。

よほど重要な案件でもない限り、諸外国では商談は少人数で行われることが多い。これは米国でも欧州でもアジアでも基本的な図式はあまり変わらない。だが日本だけは例外で、部長クラスを筆頭に、課長から係長、平社員までゾロゾロと人が出てきて、名刺交換だけでも一苦労というケースが多い。

しかも上級管理職が出席しているにもかかわらず、その場で意思決定できず、必ず「持ち帰って検討します」という話になってしまう。日本のことをよく知る外国企業の社員からは、半ば呆れ顔で「It's Nemawashi」(根回しですね)と笑われる始末だ。

 

実は全員が改革の「抵抗勢力」?

ここで紹介したのはほんの一例に過ぎない。大した要件もないのにむやみに訪問して打ち合わせをする、メールで済むような単純な要件なのに何度も電話をかける、開催する意味が分からない会議、稟議書に必要な無数の押印、存在理由が分からない部署や手続きなど、日本企業はムダのオンパレードになっている。こうしたムダを取り除かない限り、どれだけコスト削減に努力したところで水の泡だろう。

一連のムダをマクロ的に定量化することは簡単ではないが、こうした仕事のやり方が広範囲に定着しているのだとすると、全体で3割くらいの仕事が収益を生み出していない可能性すらある。仮に労働時間の3割を削減できると仮定すると、理屈上、日本の生産性は40%ほど向上し、米国やドイツの水準に近づくことになる。

問題なのは、こうした指摘は以前から存在しており、多くの人がムダの存在をはっきりと認識できているという点である。生産性の向上が求められていることも、そして、こうしたムダを無くせば生産性を向上できることも分かっているのに、なぜか行動に移せない。考えようによっては、状況を認識できていないよりも事態は深刻である。

集団訪問については、群れをなすことで安心したいという心理が働いている可能性があるし、ムダな手続きや組織の温存は、そこに従事している社員の激しい承認欲求が関係しているのかもしれない。

こうしたムダを指摘してスリム化を進めれば、いつか自分の仕事もムダの烙印を押されるのではないかとの恐怖心を皆が持っているのだとすると、事態はさらにやっかいである。全員が改革の抵抗勢力ということになり、問題をどれだけ可視化し、処方箋を示すことができたとしても、決して実行されることはないだろう。

ここまでくると経済学や経営学ではなくもはや心理学や文化人類学の領域に入ってしまう。今、日本で進められている働き方改革は、日本の生産性の低さが、経営学的な問題にとどまっているからこそ、改善可能であることを示す最後のチャンスとなるかもしれない。