社会学者フロイトに、エディプス・コンプレックスが生まれた日のこと

父親に対する殺意をもって
大澤 真幸 プロフィール

エディプス・コンプレックスとは何か

フロイトは精神分析という技法と学問を、一人で、無から作り出したわけです。彼は、まったく道なき道を歩き続けたので、試行錯誤の連続です。始終あらたなアイデアを出したり、修正したりしながら、精神分析を練り上げました。

創出されたアイデアは、いつも生煮え気味といいましょうか、自分でもよくつかみきれないままに、何とか言葉になっている、というような状態です。

 

マルクスは、初期マルクスと後期マルクスなどと大きく2つに段階区分でき、変化も体系的ですが、フロイトの場合には、その学問の発展をこんなにかんたんに分けることができない。

そんなフロイトが、何度も改訂しながら出してきたいくつもの概念の中で、最も重要なものを1つだけあげるとすれば、それは、「エディプス(オイディプス)・コンプレックス」の仮説です。

エディプス(オイディプス)は、ギリシア神話の登場人物で、とりわけソフォクレスのギリシア悲劇『オイディプス王』で知られている。エディプスは、そうとは知らずに自分の父親を殺し、またそうとは知らずに自分の母親と結婚してしまう。

フロイトは、この神話に託して、人間の男の子は──フロイトはほとんど男性を中心に考えています──、母への近親相姦的な欲望と、父親への殺意に近い敵意とをもつ、あるいはそのような欲望と敵意をもつ段階を経る、という説を唱えたのです。

これがエディプス・コンプレックスです。

フロイトは臨床をしながらそういうことを考えるようになっていきました。主に強迫神経症やヒステリーの患者を診ているうちに、誰にもエディプス・コンプレックスがあるのではないかと思うようになったわけです。

フロイトの実体験から

フロイトは、最初から、エディプス・コンプレックスのようなものがある、と考えていたわけではありません。実は、フロイトがこの説を思いついた日、この説が閃いた日は、フロイト自身が書いた手紙をもとにして、正確にわかっています。

彼は、19世紀の最後の年、つまり1900年に『夢解釈』という本を出しています。

この主著とも言える本の中で、エディプス・コンプレックスの概念を初めて提起している。だから、この説に想到したのは、この本が書かれる少し前であることは、正式に公表された文書からだけでもわかります。

そして、いま述べたように、友人フリースへの私信から、エディプス・コンプレックスなるものを思いついた日は、1897年の10月15日ということまでわかっています。

興味深いのは、これが、フロイトの父親が死んでからほぼ1年後のことだということです。父が死んでほどなくして、フロイトは、神経症やヒステリーの原因について、それまで自分がもっていた説を捨てて、エディプス・コンプレックスの理論を打ち立てた。

フロイトという人は、父親に対して屈折した複雑な感情をもっていました。その父親が死んで1年のうちに、フロイトは、子の「父親に対する殺意」ということを中心におく、独特の仮説を思いつく。

私が何を言いたいかわかりますか。

エディプス・コンプレックスの誕生ということ自身が、エディプス・コンプレックス的な現象だということです。

それまでのフロイトは、神経症やヒステリーの原因に関して、もう少しシンプルに考えていました。実は、そっちのほうが現代風だと言えます。今日、父親や母親にDVを受けた子は、自分の子に対してもDVをしてしまう傾向があるということがよく言われます。

フロイトがもともと考えていたのは、これに近いアイデアです。しかし、いま述べたように、父親が死んでから間もなく、フロイトは、親による虐待とは直接には関係がない、子の内面のドラマとして、エディプス・コンプレックスがある、と考えるようになりました。

このフロイトの有名な説が、正しいか間違っているかはいまは検討しないことにしましょう。いずれにせよ、この説が、フロイトの理論の重要な核になっています。では、なぜ私たちにとって重要なのかと言うと、これが社会学のテーマに結びつくからです。

繰り返しますが、社会学の基本テーマは、「社会秩序はいかにして可能か」という問いです。その問いは、結局、人間における規範や道徳の起原への問いでもあります。それらが人間の中でどうやって生まれてくるのか、を考えなければならない。

実は、エディプス・コンプレックスは、人間の中で規範や道徳が生まれてくるメカニズムと、深く結びついているのです。

だから、このアイデアは、社会秩序の可能性について問う社会学にとっては、非常に重要な仮説です。