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時代が変わっても「色を失わない」優れた古典の本10選

作家の水村美苗が選んだ

再々読にたえうる古典

今回挙げた10冊は全て、再読、再々読にたえうる古典だと思います。

細雪』はボストンの美術学校に上がってから初めて読みました。

私は父の仕事の都合で12歳の時にアメリカに渡ったものの土地になじめず、ハイスクール時代は家にあった改造社の『現代日本文学全集』を読んで過ごしました。そこにはもちろん、谷崎の初期の小説も入っていたのですが、プロットが際立ち過ぎていて、「私はこんなに面白い物語が書けるんだぞ」という過剰な意識が感じられました。

ところが『細雪』には、それがない。にもかかわらず面白い。

再読するうちに、実は作為はちゃんとあって、それが抑制されていたことに気づきました。作為を感じさせない緻密なプロットと描写で読者を牽引し、長い小説でありながら最後まで飽きさせない力はさすがです。しかもこの小説は英訳にしても面白さが消えない。

長編でもあるので、トップは『細雪』です。

一方で私は『續 明暗』という小説を書いたくらい、漱石に執着しています。

漱石の偉大さはいくつでも挙げられますが、一番好きなのは、彼のユーモア。『三四郎』は、熊本の高校を卒業して東京に出てきた青年の成長譚で、三四郎の自意識や悲哀感がそのユーモアをもって描かれています。

 

出だしの、上京する列車の中で知り合った女性とのやりとりからして、おかしい。全編に通じるユーモアは漱石が三四郎を描く上での距離の取り方から出ていますが、日本文学ではめずらしい距離感です。漱石は英文学者ですから、英文学の影響が強いと思います。

小公女』は子供の頃、家にあった講談社の『少年少女世界文学全集』に収録されていたのを読んでいました。伊藤整の訳と桜井悦の挿絵が素晴らしく、今でも持っています。

主人公のセーラはインド生まれ。大金持ちの娘でロンドンの寄宿舎で特別待遇をうけていますが、父親が破産して死ぬと、悪い校長先生に召し使いにされてしまう。セーラは虐げられても高潔な精神を失わず、最後は父親の友人に助け出され、幸せになります。

大人になって気がつきましたが、頭も心も図抜けて優れていたせいで、父親が死んだあとは、セーラには、本当の友達というのができないんですね。彼女は可哀想な子に次々と優しくしていく。ただそれだけなのです。

人間の在り方について深く考えさせられます。

子供が夢中になる「みなしごもの」

高慢と偏見』は最初に英語で読んで、文体に魅了されました。限られた語彙を使いながら、組み合わせと言い回しでユーモアと皮肉を巧みに表現していて、見事です。

18世紀末から19世紀初頭のイギリスの女性の結婚の在り方をロマンチックではなく、リアルに描いている。そのリアルというのが、辛辣であると同時に、真実を指す。

ジェーン・エア』は子供向けの全集でくり返し読み、大人になってから原文で読みました。これもまた、結婚をテーマにしていますが、働く女性が出てきた時代に相応しい話です。

孤児のジェーンは、ひどい子供時代を送りますが、自分に与えられた選択肢の中では最良の道として、教師となるのを選ぶ。そして、貴族の家で家庭教師をしたことから、当主であるロチェスターに恋され最後は一緒になります。

「みなしごもの」の典型ですね。「みなしごもの」はそもそも児童文学にはよくあります。孤児だったら自分で人生を切り開いていかねばならないでしょう。子供の読者は、どういう風に主人公が生き延びるかを、我を忘れて読みます。自分自身は親に守られながらも。

たけくらべ』は、文語体で書かれているので、少し苦労するかもしれませんが、日本人なら是非読み通して欲しい作品です。

まずは近代以前の日本文学の息吹に触れることができる。しかも一葉の文章は密度が高いうえに魚が跳ねるような勢いがあって、そのうまさといったら、ない。高校3年にはこの作品を読めるよう、日本語教育を再設定してくれればと、常日頃から思っています。

ガラスの動物園』はハイスクール時代、まず英語の授業で読みました。

セント・ルイスのアパートに、夫に捨てられた母親と足の不自由な娘と詩作が好きな息子が一緒に住んでいる。母親は嫁ぎ遅れた娘のことを心配する一方、文学に野心を燃やして現実から逃避しようとする息子とはことあるごとに対立する。

アメリカ文学は希望を持って終わるという傾向が強いのに、この作品は哀しさ、やりきれなさを残して終わる。そういうところが好きです。(取材・文/緒形圭子)

▼最近読んだ一冊

「今、女系家族の小説を書いていて、その参考に読みました。富と権力のため閨閥をはりめぐらす一族の話ですが、娘たちの名前が一子、二子、三子とは! 物語の追いやすさを第一とする大衆作家の潔さに感服しました」