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「LGBTは生産性がない」は生物学的にも間違っていることを示そう

それは研究によって否定されている

生物学の知識に照らすと間違いです

昨年『新潮45』(8月号)誌上において、衆議院議員、杉田水脈氏の「LGBT支援の度が過ぎる」と題した論文中の発言が大変な議論を呼び、同誌はついには廃刊にまで及んだ。Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシャル、Tはトランスジェンダー(つまり体と心の性が一致しない人)の意である。

ともあれその発言とは、

「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり、『生産性』がないのです」である。

この「『生産性』がない」発言は、生物学の知識に照らして考えると間違っている、ということをここでは示していきたい。なお、ここからの話は、基本的に生物学的な話である。言葉遣いが科学的で冷たいものになることもあるかもしれない。そのことを十分に頭に入れておいてほしい。

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本題に入る前に、杉田氏の記事全体に対する私のスタンスを説明しておこう。この発言は、杉田氏がLGBTの人々を、その「生産性」のなさゆえに責め立てている印象を与えた。たしかにこの発言に傷ついた方も多くいたと思う。そのことには大きな問題がある。その上、政治家は、その発言に際し、どこをどう切り取られてもよいよう、厳重に注意を払うべきだ。よって杉田氏を擁護するつもりはない。

しかし、杉田論文の全文を読んでみると、おおよそ次のようなことが述べられていることには注意しておいてもよいのではないかと、私は思う。

 

ーーまず、リベラルなメディアがLGBTの権利を認め、支援する動きをさかんに報道するが、それはおかしいのではないか。
ーー彼らは、日本においてそんなに差別されているわけではない。
ーーリベラルなメディアは彼らの生きづらさを社会制度のせいにしている。
ーー生きづらさを行政が解決しようとすると、お金が動く――。

こうして見ると、少し印象が違ってくる。LGBTの人々はリベラルなメディアに利用されている、本人たちは特別視されているわけでもないし、特別視してほしいわけでもない、特別な権利やありあまる支援を特に要求しているわけではない、という点が主張の根幹にあるのだ。

繰り返しになるが、「生産性」という言葉を使い、多くの人を傷つけたことには、取り返しがつかないほどの問題がある。しかし、メディアが「上から目線」でLGBTの人々の人生や主張を勝手に「我が物」にしている、といった彼女の問題意識については、頭ごなしに否定するだけで済む話でもないと、私は考えている。