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日産は、なぜゴーン氏の「独裁的な振る舞い」を20年間も許したのか

井上久男『日産 vs. ゴーン』を読む

絶体絶命の状況下で

日産自動車の西川廣人代表取締役社長を中心とする現執行部がゴーン氏を排除するために検察庁と手を握った構図が、評者が連座した鈴木宗男事件と構造的によく似ている。

2001年4月に小泉純一郎政権が成立し、田中眞紀子氏が外相に就任した。田中氏は外交に関する知識の蓄積も、交渉能力も全く持ち合わせていなかった。外交を利用してポピュリズムを煽り、自己の権力基盤を強化することにしか関心がなかった。

 

そのような状況で、外務官僚は、当時外務省に対して強い影響力を持っていた鈴木宗男衆議院議員を利用して、田中氏を駆逐しようとした。翌'02年1月、小泉首相は田中氏を外相から更迭した。

外務省内で鈴木氏の影響力がかつてなく大きくなる可能性があった。これに危惧を覚えた当時の外務省幹部が鈴木氏の失脚を画策し、巧みに検察庁を利用した。

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鈴木氏絡みの外務省の秘密文書が共産党に流されるというような前代未聞の出来事もあった。外務省執行部に同調して「宗男バッシング」に加わらなかった私も一緒に整理された。

日産自動車は1999年3月10日時点で、〈あと20日余で約8000億円を資本注入しなければ、倒産を回避できない絶体絶命の状況に陥ってしまった〉のである。

これを救済したのが、フランス政府の後押しを受けたルノーだった。その結果、日産は生き延び、ルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン氏によって、V字回復を遂げたのである。

井上氏はこのような状況に日産が陥った原因について著書の『日産 vs. ゴーン』のなかでこう分析する。

〈日産は労使の不健全な癒着や下請け企業との馴れ合いに起因する高コスト体質、官僚主義などが原因で、86年に上場以来初の赤字に転落してからは、バブル期を除き、経営悪化の一途をたどっていた。

「うちのような大企業を潰すはずがない。銀行や役所が手助けしてくれる」といった安易な名門意識に胡坐をかいて危機感を欠き、歴代の役員が抜本的な対策を怠った結果、「病状」が進行し、大きな「外科手術」をしなければ生存できない状態にまで追い込まれていたのだ。

腐り切った企業が一発逆転で再生するには、一時的には批判を浴びようとも、過去を全面否定するような大胆な再建策を受け入れないと、真の再生には結びつかないのである〉。

このような大胆な改革は、さまざまなしがらみがある日産内部の人間にはできない。ゴーン氏のような外部の人間によって、大規模な首切りやコストカットを実施するしかなかったのである。