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いつから日本の「LCC競争」がこんなに激しくなったのか

未来の空旅はどう変わるか・その4
戸崎 肇 プロフィール

国内LCCの先陣を切ったANA

さて、日本においてはLCCの状況はどうなのか。

今日、インバウドの増加による国内経済の活性化が大いに注目されているが、こうなったのはやはりLCCの貢献によるところが大きい。そして、それを受け入れる環境整備がなされたことも見逃せない。

1990年代初頭のバブル経済の崩壊後、経済の停滞感が長引く中で、これまであまり重視されてこなかった観光政策を国家戦略の1つとして位置づけた。そして、その中でインバウンド振興も謳われることになったのである。

 

従来、国土交通省の中の1部門であった観光行政は、2008年に観光庁が設立されることで格上げされた。そして、2011年に発生した東日本大震災後の復興支援もあり、海外からの観光客を積極的に誘致すべく、ビザの発給条件を大幅に緩和する政策を実施する。

その結果、タイ、マレーシア、インドネシアといった対象国からのインバウンドが劇的に増加していった。

海外観光客を取り込んでいくために、そして日本国内の航空需要を掘り起こしていくためにも、LCCの設立が進められることになった。

その先陣を切ったのがANAである。LCC事業として「ピーチ・アビエーション」を2011年に設立した。

関西国際空港をベースにおいたところが大きな特徴だ。関西国際空港は、大阪を中心とした大きな経済圏をもっているし、羽田空港や成田空港に比べて発着枠に余裕がある。

関西経済界は首都圏に対して対抗意識があるので、その協力を得やすいということもあった。実際、関西サイドでは、ピーチの名前は具体的に出さなかったものの、関西国際空港をベースとする航空会社に対して補助金を出す、などの優遇措置をとることを明言した。

エアアジア・ジャパン失敗の理由

ところが、ここで予想外の展開があった。

ANAはピーチと並行する形でエアアジアと提携し、エアアジア・ジャパンを設立すると発表したのだ。

エアアジア(photo by gettyimages)

確かに両社間で棲み分けを図ればいいのだろうが、2つのLCCを同時に傘下に置くのは、ANAにとっては経営上非常に難しいことになるのではないかと思われた。

エアアジア・ジャパン就航に向けてのお披露目で、マスコミなどを招いたイベントを行った際、筆者もその場にいた。当時ドタキャンが懸念されていたトニー・フェルナンデスも無事出席し、大いに注目を集めた。

その際に、ちょっとしたハプニングがあった。

ANAの経営陣も陣取る中、トニーは挨拶の中で、あるジョークを言った。事情がわかる人の間では大いに受けたが、通訳には全く分からなかったようで、戸惑ってしまっていた。そのジョークとは、ANAがエアアジアとピーチを両天秤にかけているように見えることを皮肉るものだったのだ。

こうしたANAへの「不信感」には伏線がある。日本で路線の開設許可を得ることがなかなか進まない原因の一端が、ANAの力不足にあるようにトニーが感じたのだろうと推測される。

エアアジアがこれまで乗り入れ、路線を急拡大させてきた国々と、日本の間の事情の違いが理解できなかったのだろう。

エアアジアとしては、大量に航空機を購入することでスケールメリットを活かすことを図ってきた。購入した航空機はとにかく目一杯稼働させなければならない。そのために路線の拡大、運航便数の増加を急速に進める必要があったのだ。

そのスピード感に日本の行政システム、そして空港というインフラ自体が供給制約の状況にあって対応できなかった。

その後も両者の関係の劇的な改善は見られず、結局、ANAとエアアジアは就航した翌年には袂を分かつことになる。