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あれから5年…ウクライナ危機を「他人事」と思ってはいけない

もしも、は日本でも起こりうる

20XX年の事変

20XX年2月27日、日曜の朝を迎えたZ県で異変が起きていた。覆面をした謎の武装勢力が県議会や県庁舎を占拠したのだ。続けて空港や各放送局も制圧され、県内各地の自衛隊基地は重武装の戦闘集団に取り囲まれた。彼らは所属を示す記章を一切身につけず、無言を貫く。その装備は米海兵隊のそれに酷似していた。

県議会では米国との関係が良好な一部議員だけが通行を許され、本会議で住民投票の実施と親米派の臨時知事の選出を一方的に決定する。3月16日に設定された住民投票では「日本国内で自治権を強化するか、米国への編入を求めるか」の二択を問うと表明。「日本から出て行こう。米国の一部となって主権を行使しよう!」 そんなスローガンが唱えられた。

伏線はあった。日本では2月中旬、衆参同日選挙で与党が歴史的大敗を喫し、ポピュリスト政党「日本ふたたび党」が政権を獲得した。実にYY年ぶりの政権交代である。首相に就任した党首の鷹山一郎は公約に掲げていた「核保有」や「日米同盟の破棄」を実行に移すと宣言。

さらに、アジアでは米国をしのぐ強大な存在に上り詰めた中国への接近を強くにおわせた。一方、連立を組んだ極右政党「自由やまと」は「純粋大和民族の尊重」を主張し、アイヌ民族やZ県民を蔑視する発言を繰り返した。

 

Z県での電撃的な覆面部隊の展開に、鷹山首相の新政権は大混乱に陥る。Z県内の世論は割れていたが、覆面部隊に守られる形で親米派主導の住民投票は実施された。当日深夜、臨時知事が重々しく結果を発表する。「投票率は91.1%。米国への編入賛成は94.3%に達した」 さらに発言が続く。

「……よってZ県は独立国家『Z共和国』として米国政府に編入を要請する!」

その二日後、”真の米国第一主義”を標榜するトライアンフ米大統領がホワイトハウスで演説に立った。

「Z県はかつて独立した地域として繁栄していた。それなのに明治維新後に日本政府の支配下に組み込まれて以降は辛酸を味わってきたのだ。中央政官界に軽んじられ続け、ついにZ県を蔑視する鷹山政権の登場である。私は人々の悲痛な声を耳にしている。そして住民投票の結果、圧倒的多数が我が国への編入を熱望していることが分かった。私はここに『Z共和国』編入を宣言する!」

こうして米国はZ県を「51番目の州」として自国に編入。核大国の暴挙に日本はなすすべもなかった――。

「あり得ないこと」が実際に起きた

ここまで読んだあなたは「バカバカしい」「あり得ない」とつぶやいたろうか? いまの日米関係を考えれば確かにあり得ないだろう。まるで近未来物の架空戦記だ(登場する党名、人名は全てフィクションである)。だが、5年前の2014年2月から3月にかけて、ウクライナとロシアの間ではこんなことが実際に起きたのだ。ロシアによるウクライナ領クリミア半島の強行編入である。

多くの方が想像するだろう通り、Z県のモデルは沖縄県である。以下、沖縄とクリミアを対比してみたい(その理由は文末で詳しく説明する)。

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沖縄とクリミアでは似た面もあれば、全く異なる面もある。両者を簡単に比較してみよう。沖縄はかつて琉球と呼ばれていた。15世紀前半に統一国家が成立し、中国(明、清)との冊封関係を中心に中継貿易で栄えた。だが、1609年に侵攻してきた薩摩藩の支配下に入れられ、明治維新後の1879年には琉球処分によって正式に日本の領土に組み込まれた。第2次大戦時には米軍が上陸して激しい地上戦が展開され、戦後は1972年まで米国の統治下に置かれた。

一方のクリミア半島では15世紀前半にモンゴル帝国の流れをくむクリミア・ハン国が成立した。15世紀後半にはオスマン帝国の保護下に入って黒海の交易で栄える。しかし、18世紀後半、ロシア帝国がオスマン帝国との戦争で勝利を収め、1783年にクリミアを併合した。

第2次大戦時にはドイツ軍が侵攻して激しい地上戦が展開された。戦後の1954年、ソ連邦の内部でロシア共和国からウクライナ共和国へ半島の帰属が変更され、1991年のソ連崩壊と同時に独立したウクライナの一部となった。クリミア半島は四国の1.4倍ほどの面積を持ち、ひし形の北端のみでウクライナ本土と接している。ほとんど島のような地形である。

沖縄とクリミアは共に複雑な歴史を持ち、一国の中で独特な地域となっている。現代ではどちらも観光を主要産業とし、近年は中央政府への不満が高まっていたことも共通している。両者の違いも当然大きい。クリミアは独立国家だった時代はチュルク系のクリミア・タタール人が多数を占めていたが、ロシア帝国の支配下に入るとロシア人が大挙して入植を始めた。大勢のタタール人がトルコなどへ逃れていった。

さらに第2次大戦中、ソ連の独裁者スターリンがクリミア・タタール人全てを「対敵協力民族」と見なして中央アジアなどへ強制移住させたのである。タタール人はソ連末期にようやく故郷への帰還を許された。それゆえ現在もクリミア半島ではロシア系住民が多数を占めている。

人口の6割を占めるロシア系のほか、2割強のウクライナ系、1割強のタタール人、さらにはドイツ系、ギリシャ系など多くの少数民族が半島に暮らす。