東日本大震災から丸8年。津波被災地の復興は少しずつ進み、地域も当初よりはずいぶん落ち着きを取り戻した感があるが、逆に8年の年月を経てより深刻化した問題がある。
被災者のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)の問題だ。
PTSDは自然災害、事故、犯罪、戦争、暴力などによって強い精神的ストレスやショックを受けた体験がトラウマ(心的外傷)となり、時間が経過してからも辛い体験の記憶から逃れられなくなるという症状である。
具体的には、感情の萎縮、フラッシュバック、悪夢、睡眠障害、怒りの爆発、精神的混乱、過度の警戒心など、幅広い症状が表れる。
日本では1995年の阪神・淡路大震災以後、PTSDの問題が大きくクロースアップされるようになったが、もともとは欧米において戦争帰還兵に多く現れた症状から社会に認知されていったものだった。
いま、8年を経て深刻化する東日本大震災被災者のPTSDのみならず、この数年、一気に増加したさまざまな自然災害(熊本地震、九州北部豪雨、大阪北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震、その他、毎年のように襲う大型台風等)の被災によって、近い将来、PTSDの問題はより広い範囲において多くの人々を悩ませる可能性が高まったと言えるのではないだろうか。
しかし、実際にはPTSD治療に関する研究は世界的にも発展途上であり、現在も多くの研究者によりさまざまな模索が続けられている。
その中でも有効性が確立されていると言われる数少ない治療法として、「持続エクスポージャー法」がある。
これは「安全な環境で医師やカウンセラーの立ち会いのもと、患者がPTSDとなっている辛い記憶をあえて思い出す、向き合うという作業をすることによって『辛い記憶を思い出しても、いまその辛い体験をしなければならないわけではない(いまは大丈夫だ)』と自らに認識させ、心に平穏を取り戻していく」という治療法だ。
持続エクスポージャー法は有効ではあるが、問題点もある。それは辛い記憶を思い出すことが患者の大きな精神的負担になるという点だ。
また、治療に要する期間が長く、半年に及ぶこともある。そのため、思い出す辛さのあまり、途中で治療を止めてしまう患者も少なくないという。
そんな折、世界トップレベル研究拠点(WPI)の一つである筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(以下、IIIS)で「睡眠とPTSDの関連性における新たな基礎研究」を進めている2人の研究者の存在を知った。
まず、我々が話をうかがったのは、征矢(そや)晋吾さん(IIIS助教。櫻井武研究室所属)。征矢さんはオレキシンという脳内物質(神経ペプチド)と恐怖の関連性、ひいてはPTSDとの関連性を研究している若き脳神経科学者だ。
オレキシンは、柳沢正史PI(IIIS機構長。PIとはPrincipal Investigator、主任研究者のこと)と櫻井武PIが1998年に発見した神経ペプチドである。
当初、摂食行動に影響を与える脳内物質として注目されたが、その後、ナルコレプシー(居眠り病。日中、突発的に自分では制御できないほどの強い眠気に襲われる睡眠障害)との関連性が明らかになり、睡眠・覚醒との関連が研究されるようになった。
「もともと、学群生(他大学で言うところの学部生。筑波大学ではこう呼ぶ)のころ、ぼくは陸上競技をやっていたんです。
モチベーションや集中力といった、覚醒レベルに支えられる精神機能が競技のパフォーマンスを左右することを強く感じていたので、漠然とその関係性を知りたいと思っていました。そこからそもそも「覚醒」とは何かという興味に繋がっていきました。
ある時、櫻井先生のオレキシンに関するレビューを読んで、オレキシンが『覚醒』と深い関係があることを知り、その調節メカニズムを知りたいと思いました。それで、大学院では、当時、金沢大学にいらっしゃった櫻井先生の研究室の門を叩いたんです。
いうなれば、陸上競技という実体験からオレキシン研究に進んでいったということになりますね」(征矢さん)