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「お前は何のためにいる?」同時多発テロと証券マンが果たすべき役割

東京マネー戦記【8】2001年夏-秋

世界に大きな衝撃を与えた2001年の米同時多発テロ。その余波は、大手町で働く若き証券マンの「ぼく」のもとにも及んだが、ちょうどそのとき彼の心を占めていたのは、何も言わず実家を飛び出した弟のことだった……。

証券の世界の内幕と、一人の証券マンの成長を描く実録小説「東京マネー戦記」第8回。

(監修/町田哲也

 

突然、転がり込んできた弟

ぼくが一人暮らしをはじめたのは、2001年のことだった。

新入社員は社員寮に入居するよう人事部から指導されていたが、3年もたつと一人暮らしをしても構わないという。四谷三丁目のマンションをさがしたのは、後に結婚することになる彼女と一緒に住むためだった。

しかし思わぬところから、予定を変更せざるを得なくなった。弟が交通事故に遭ったのだ。

当時弟は劇団で演劇をしていたが、稽古に行く道で事故に遭い、一週間ほど慈恵医大病院に入院していた。その後退院はできたが、下宿先との契約満了の時期が近く、転居先をさがしていた。

大学を中退して以来、弟は家出状態を続けていたので、今さら実家には帰りたくないという。しかし、すでに結婚している姉に頼むわけにもいかず、ぼくの部屋でしばらく一緒に暮らすことになった。

春から部屋に来ていた彼女に事情を話すと、たまたま高校時代からの友人がルームメイトをさがしているので、自分はしばらくそこに移ってもいいという。そんなわけで、大きな荷物を抱えた弟がぼくのマンションにやって来たのは、6月のことだった。

この頃のマーケットでささやかれていたのは、「日本売り」という言葉だった。2000年4月に2万円台を回復した平均株価はその後急落し、2001年の夏には、約半分の水準に達しようとしていた。

為替は1ドル=110円から130円まで円安が進み、落ち着きを取り戻しつつあった10年国債利回りはふたたび1.5%程度まで売り込まれていた。海外へと資金が流出する一方で、リスクにおびえる投資家の運用資金は、ほとんど金利のつかない銀行預金に流れ込んでいた。

忙しい毎日の一方で、弟との二人暮らしは新鮮だった。

誰よりも喜んだのは母だった。弟の様子を見に、毎週のようにぼくの住むマンションに来た。徹底的に片づけるわよ。エプロンをして楽しそうに掃除をしている母を見ていると、はじめて親孝行をしたような気分だった。

弟が所属したのは、池袋に拠点を置くセミプロの劇団だった。大学を中退し、中華料理屋でアルバイトをしながら年に数回公演に出ているという。

弟は帰りが遅く、ぼくは早朝に出勤するので、ほとんど部屋で会うこともない。そんな生活スタイルの違いも、同居を気楽なものにさせていた。

「ここは倉庫かよ? 何にも使ってないみたいだな」

はじめて弟が、ぼくの部屋に来たときのことだ。金髪に染めた髪をかき上げると、キッチンを覗いて呆れた顔をした。

「こんなに広いキッチンがもったいないよ」

鍋は錆びつき、包丁はガタガタだった。流しには汚れた食器が、山のように重ねてあった。

「ほとんど料理することもないからな」

「たくさん給料をもらってるんだから、もう少し身体のことを考えろよ」

「外食で十分なんだよ」

「そう思ってるのは自分だけだ。食事は顔に出るからな。まともなものを食ってないことが、顔に書いてあるよ」

「余計なお世話だ」

ぼくの反応を受け流すと、弟は袋からアボカドとマグロを出し、手早く刻んでマヨネーズで和えた。マンションに来る前から用意していたのだろう。流しから適当な皿を洗いながら進めるしぐさは、自分の家にいるかのように違和感がなかった。