殺人か医療行為か…「透析中止事件」から私たちが考えるべきこと

透析中止と安楽死のあいだ
美馬 達哉 プロフィール

治療を見合わせることの倫理

次に、患者の自己決定権とともに重要なポイントである「医学的に適切で妥当な治療法の有無」という問題を取り上げる。

治療法のある場合とない場合に区分した上で、自己決定権と絡めて整理してみよう。

第一に、回復不可能で死が切迫している状態などで、医学的に有効な治療法が存在しない場合、医師が治療中止や打ち切りを行ったとしても法的に問題にはならない。

また、治療法がない以上は患者が選択する余地もないので、患者の自己決定権は関係しない。

ただし、医学的に無益だと医師が判断していても、有無をいわせず治療打ち切りではなく、患者の希望が強ければ、医師がその治療を行うことも十分あり得る。

もちろん、いま報道されているケースでは透析治療がスタンダードなのだから、これには当てはまらない。

第二に治療法が存在する場合、医師は治療法を提示して患者に十分な説明をして理解を得た上で、患者の同意が得られた場合には(インフォームドコンセント)、その治療法を行うことになる。これが「治療義務」と呼ばれているものだ。

患者本人が医療の主人公なのだから、同意があった上での治療義務というのが原則だ。

治療法があっても、医師の説明を理解した上で患者が治療の中止や差し控えを求めた場合には、たとえ結果として死に至る選択だったとしても自己決定権がある。

ただし、治療中止や差し控えの場合、生命の維持や回復のための治療義務とは異なり、それでも医師は患者の意志に従うべきとする説と、患者の意志には縛られない(患者を拒否して他の医師を紹介するなど)とする説の両方があって、議論されている。

自己決定といっても生死に関わる決断であるため、野放図な死の選択への歯止めとして、十分に病状の説明が行われ(たとえば別の医師のセカンドオピニオンも入れた形で)、患者がその内容を理解し納得した上で意志決定し、また本人の考えが変わった場合は治療できるように、細心の注意を払って自己決定のプロセスを進めていく必要がある、とされる。

 

やっぱり密室の「見えない死」という問題?

いわゆる延命治療の中止や差し控えについては、日本では2002年に発覚した川﨑協同病院事件2で最高裁まで争われたことがよく知られている(少なくとも医療業界では)。

家族の要請に基づいた主治医の治療中止(気管内チューブを抜管)を違法として、被告人の医師に対する懲役1年6ヶ月執行猶予3年の有罪判決が、最高裁で確定している。

この判決の結論だけを見ると、「治療中止=有罪」とみえてしまう(この誤解は多い)が、よくみると実はそういう内容の法的判断ではない。

川﨑協同病院事件で治療中止が違法とされたのは、①回復可能性や余命についての十分な検査が行われていない(有効な治療法がないとはいえない)点と②患者の意志は推定できず、しかも患者家族に対する十分な説明が行われていない(自己決定権が尊重されていない)点を理由としている。

つまり、治療中止そのものは、これらの条件を満たせば違法ではないということだ。
その条件を手続きとしているのが厚労省ガイドラインで、死を迎える本人の意志とその周囲の人びと(家族)の気持ちを最大に尊重し、専門家一人が判断を押し付けるのではなく、多専門職のチーム(必要なら外部有識者を含めた倫理委員会での審査も)で方針を決定するプロセスの必要性ということになる。

今回報道された透析中止のケースでどうだったのか、現時点では見えてこない。

2 1998年に、気管支喘息の58歳男性が喘息発作から心肺停止となり、蘇生の後に意識障害のままに呼吸に気管内チューブが必要な状態となった。家族の要請で主治医が治療中止を行い、気管内チューブを抜管したところ苦しみだしたため、筋弛緩剤で呼吸を停止させた(積極的安楽死)という事件である。後に、病院の麻酔科医師の内部告発で明らかとなり、主治医は殺人罪で有罪となった(2009年最高裁で確定)。