毎日新聞のスクープ記事で、昨年2018年の8月16日に、東京都の公立福生病院で、慢性腎不全でそれまで数年間の透析治療1を受けていた44歳の女性が透析を中止させられたことで死亡した、との報道があった(2018年3月7日)。
主治医は、看護師立ち会いの下で患者本人が意思確認文書に事前に署名し、透析をしないという選択肢に自分で同意していたと主張している。
ただし、入院して透析を中止してから「『こんなに苦しいのであれば、また透析をしようかな』という発言を女性から数回聞いたが、苦痛を和らげる治療を実施した」とも、主治医は語っているようだ。
実際、このことは、患者家族(夫)の手記に記載された内容とつじつまが合う。
患者本人の署名は死の1週間前の8月9日で、直前まで透析を継続して生きるか透析を中止して死ぬかを迷っていたらしいからだ。
さらに、夫は手記で「病室で女性は『(透析中止を)撤回したいな』と生きる意欲を見せた」「私は先生に『透析できるようにしてください。助けてください』と懇願しました」とまで書いている。
報道と患者家族側の言い分をみる限り、医師と患者(および患者家族)の間のコミュニケーションがうまくいっていたとは言いがたい。
これまでに21人の患者が透析しないで死亡した——そもそも透析を始めなかったり、透析を中止したり——との報道(3月15日)もあり、主治医は腎臓疾患患者を救うために透析をすることに否定的な考えを強く持っていたようだ。
もし、報道された夫の手記が事実であれば、これは医療行為(不行為)というより殺人に近い事態とみるべきだろう。
患者家族の同意は得られてないことはもちろん、医師が透析中止で死亡することを知りながら、直近での患者本人の意志に反して、故意に強制的な透析中止を行って、その中止行為の結果として患者が死亡した、と考えられるからだ。
透析を必要とする慢性腎不全患者に対するヘイトクライムなのか、苦しむ患者の死ぬ権利を擁護する医療者へのフェイクニュースでのバッシングなのか、事実関係はまだわからないことが多い。