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大腸がん「ステージ4」宣告から生還した患者とその主治医の全告白

命を救ったトップドクターの決断

大腸がんのうえ、肝臓に転移で「余命1年」…

近隣に大学病院が隣接する病院密集地域といわれるJR御茶ノ水駅。

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御茶ノ水橋口の改札を出て明大通りを靖国通りに向かって歩いて3分。緩い勾配の坂道を下りにかかる途中左側に公益財団法人・佐々木研究所附属杏雲堂病院がある。

1日の外来患者は300名、ベッド数198。診療科は17科の専門分野があり、国内では稀な民間のがん研究施設を持ったがん治療の専門病院だ。

「患者さんのCT写真を見て正直驚きました。大腸がんが肝臓に転移し、右側の肝臓はがんで埋め尽くされ、左側も全体の3分の2までがんでびっしり覆われていました。10年前ならこうした大腸がんの肝臓転移は、手術でお腹を開けても何もできずそのまま閉じていました。余命半年から1年という状況でした」

と話すのが杏雲堂病院消化器外科科長で千葉大学医学部臨床教授も務める川本潤医師だ。

「ただ、その患者さんは2度目となった再発手術から5年になりますが、手術直後には仕事に復帰し現役でバリバリ働いておられます。月に一度の検診には何時もビシッとスーツ姿で来られ、誰が見ても難治がんの手術をした患者さんとは思えません。お会いして驚きますよ」(川本医師)

 

森山雄二氏(仮名、71歳)に会ったのは、森山さんの会社のある東京メトロ日比谷線小伝馬町駅近くの喫茶店。グレーのスーツにチェックのネクタイ姿、白髪の混ざった髪を7・3にきちっと分け、つやつやした顔色と落ち着いた声に、思わず川本医師の言葉を思い出した。

難治がんの患者だったとは思えないうえ、71歳にはとても見えない若々しさに驚かされたのだ。建築関係の会社の名刺には、専務取締役とあった。

「毎朝、西川口の自宅を8時に出て通勤に1時間かけて会社に行きますが、退院後仕事に復帰してから会社を休んだことは一度もありません」(森山さん)

森山さんが体調に異常を感じたのは2013年の正月のこと。正月三が日は、お屠蘇に日本酒1升を空けるのが毎年の恒例だった。ところが、その年の正月はまったく酒が飲めなかった、飲みたいという気持ちさえも起きなかったのだ。

しかし、実はそれ以前に体調の異常は起きていた。

「正月まではとくに体調のおかしいところはなかったんです。お通じは普通でしたし、血便もなかった。ただ、気が付いたことがありました。ビールが好きで毎日軽く大瓶3~4本は飲んでいましたが、それまで酔ったり顔が紅くなることは一度もありませんでした。

ただ、半年ぐらい前からビールを飲み始めて何本も飲まないうちにすぐに顔が紅くなってきたんです。しかし食欲は普通でしたし、ビールで顏が紅くなるぐらいで医者に行こうとは考えもしませんでした」(森山さん)