74年経っても終わらない…硫黄島戦没者遺族の哀しき戦い

なぜDNA鑑定は進まないのか
栗原 俊雄 プロフィール

厚労省「できない」の理由

「鑑定の条件が厳しすぎる」という批判を受けた同省は2016年度、那覇市の真嘉比地区や浦添市の経塚など4地域では遺品が見つからない場合でも、部隊の記録などに基づいてDNA鑑定を実施することとした。さらに2017年度は浦添市前田や糸満市米須、同市喜屋武など6域を加え10地域に拡大した。これまでのところ、同地域で収容されDNA鑑定された遺骨の中で、身元が特定されてものはない。

さて、硫黄島で戦死した龍雄さんについて取材を進める中で、驚くべきことが分かった。厚労省は龍雄さんがいたとみられる大坂山地区で200体の遺骨を収容しており、その内26体は焼かれない状態で保管されている、ということだ。

現在の技術では、焼いた骨からDNAを抽出できない。言い換えれば26体からは可能だ。

 

筆者は遺族に会うべく、福岡県柳川市に向かった。龍雄さんの長男の泰典さん(79)、次男の正敏さん(74)が迎えてくれた。また弟の静男さん(91)、妹の金子テルコさん(83)も健在だ。

龍雄さんは農家の長男で陸軍に徴兵された。隊内から妻のハルノさんに出した手紙が残っている。「(長男の)泰典も元気で大きくなって居ることと思って居ます。どうか大事に育てて下さい」。44年6月、硫黄島に渡るころ、ハルノさんは正敏さんを宿していた。45年2月13日に出産した。米軍が上陸する6日前だ。

筆者は硫黄島から生還した元兵士3人にインタビューしたことがある。「生きて帰れるとは思わなかった」と言う人がいた。龍雄さんもそうだっただろうか。小さい子どもと、妊娠している妻を残してどんな気持ちだったのか。心中を想像すると、胸が痛む。

福岡県の記録によると、龍雄さんは45年3月17日に戦死した。大黒柱を失った近藤家では、子どもも大きな責任を負った。「農作業がたいへんだった。父がいれば、と思いました」と振り返る。

戦没者の遺品や埋葬記録はないが、所属部隊が硫黄島のどこに配置されたか、資料で分かっている。これは前述した沖縄の10地区と同じだ。かつ、遺族がDNA鑑定を希望している。龍雄さんのケースは、前述の沖縄10地区で収容された遺骨と同じだ。であれば、当然鑑定がなされるべきだろう。これで鑑定をしないとなれば、何のために遺骨を焼かないで保管しているのか、理由が分からない。

しかし厚労省の担当室長は「資料の上で大坂山地区にいたとしても、最期をそこで迎えたかどうかは分かりません」などと話した。筆者が「しかしそれは沖縄10地区でも同じであり、鑑定をしない理由にはならない」とただすと、「沖縄の事例は試行的に行っている。成果をみて他地域に適応するかどうか決める」と応えた。

その沖縄で30年以上、戦没者遺骨の収容を続けている具志堅隆松さん(64)は「それは差別です。技術的に可能な遺骨はすべてDNA鑑定をすべきだ」と言う。筆者もそう思う。

こうした「すべて鑑定すべき」という主張に対して厚労省は大きく二つの理由を挙げて反対する。

すなわち①DNA鑑定の対象を広げると、同じDNA型の人物が複数見つかるかもしれず、その結果、親族ではない他人に戦没者の遺骨が渡ってしまうかもしれない②究極の個人情報であるDNAを、行政機関が大量に保有することについては批判もある、というものだ。

①について言えば、少なくとも特定の戦場で収容された遺骨の中に、同じDNA型の人が複数いる可能性は極めて低いはずだ。ともあれ、他人の遺骨とDNA型が一致する可能性をしっかりと遺族に説明した上で、鑑定の希望の有無をきけばいいことだ。②を厚労省の担当者から聞いたとき、筆者はのけぞってしまった。「できない、やらない理由ばかり探しているのではないか」と。

もっともらしく聞こえるが、説得力はとぼしい。不特定多数のDNAを採取するわけではない。戦没者の遺族、しかも希望者だけに限ってのことだ。マイナンバーなど、政府に都合のいい個人情報は大量に保有しておきながら、なんと都合のいい理屈か、とも思う。