74年経っても終わらない…硫黄島戦没者遺族の哀しき戦い

なぜDNA鑑定は進まないのか
栗原 俊雄 プロフィール

厚労省はDNA鑑定を拒否

同鑑定は、遺族にとって希望の光だ。しかし厚労省は、後述のように鑑定にあったって極めて高いハードルを設けている。それを乗り越えるためには、故人の詳しい戦歴を知らなければならない。龍雄さんの場合、遺族は「硫黄島で戦死した」ことは分かっていたが、どの部隊にいたかなど詳しいことは伝わっていなかった。

筆者は恵美子さんに、龍雄さんの兵籍簿を入手してもらうよう頼んだ。軍歴のある人の本籍がある都道府県が持っているもので、第三者には提供されない。

その兵籍簿と、同時に提供された別の資料などから、龍雄さんは陸軍に召集されて出征、39年10月から41年8月まで中国戦線などに配属されたことが分かった。その後帰郷したが44年6月に再召集され、硫黄島に渡った。遺族によると「出征前、長いこと仏壇の前に座っていた」という。

さらに筆者が別の資料にあたったところ、所属部隊が分かった。「陸軍混成第2旅団中迫撃砲第2大隊」で、同隊は硫黄島の大坂山地区にあったことも判明した。

余談ながら、判明までの経緯を書くのは数分で済むが、そこに至るまでには長い時間と労力がかかった。そこまでに使った資料のほとんどは行政が把握しているものだ。本来、兵士を戦地に送り出した国家がしっかりと調べ上げ、遺族に伝えるべきことだと思う。

 

恵美子さんは、厚労省の担当部署にDNA鑑定を依頼した。だが、拒否された。鑑定の条件の一つ、遺品や埋葬記録など、遺骨の身元を推定できるものが確認されていないからだ。

だが戦場ことに激戦地では、こうした資料が見つかることは極めてまれだ。筆者は硫黄島に4回渡島した。2012年には遺骨収容に参加し、数え切れないほどの遺骨を目にし、掘り起こしもした。上記の遺品などを見つけたことは一度もなかった。沖縄でも収容を手伝ったことがあるが、遺骨は見つかってもやはり遺品は見つからなかった。

前述の、身元が分かった1000体余りのほとんどはシベリア抑留の被害者だ。抑留は戦後になされたもので、ソ連(当時)に埋葬記録が残っていることから、鑑定がなされた。しかし激戦地では、そんな記録はほとんど見つかっていない。硫黄島で身元が分かったのはわずか2体、18万体が収容されている沖縄でも5体しかない。

厚労省が設ける非現実的な条件のゆえ、せっかく遺骨を掘り起こしても、DNA鑑定がなされないケースが続出している。近藤さんのケースはその一つだ。こうした条件は直ちに撤廃すべきだ。

技術的にすべての遺骨からDNAが抽出できるわけではない。しかし①国はできる遺骨からはすべて抽出し、データベース化する。②戦没者の遺族に鑑定の意思を聞き、希望する人とのDNA鑑定を行うことを、筆者は毎日新聞の記事などで繰り返し訴えている。