74年経っても終わらない…硫黄島戦没者遺族の哀しき戦い

なぜDNA鑑定は進まないのか

第二次世界大戦では日本人およそ310万人が亡くなった。いまだに100万以上の遺体・遺骨が海外で眠ったままだ。遺族らが苦労して掘り起こしても、身元を特定することは極めて難しく、わずかな光明がDNA鑑定。しかし政府はその運用について極めて消極的だ。

10年以上戦没者遺骨の取材を続ける毎日新聞記者、栗原俊雄氏が硫黄島における遺骨から鑑定の問題点を指摘、政府に改善を求める。

「大臣、決断してください」

今月14日、参議院の厚生労働委員会で川田龍平議員(立憲民主党)は根本匠厚生労働大臣に決断を迫った。世間を騒がせている統計不正問題について、ではない。第二次世界大戦で亡くなった人たちの、遺骨に関する問題だ。注目するメディアは少ないが、統計不正同様、国のあり方が問われている問題である。

川田議員は「先月、毎日新聞の1面トップにありました硫黄島で発見された遺骨に関して、厚生労働省は遺品が無いものについてDNA鑑定をしないとしていますが、26体焼かれずに残っています。鑑定をご遺族は強く希望しています。遺品の有無にかかわらず鑑定をすべきだと思います」「ここはぜひ、大臣が決断してほしいんです。遺族が高齢化していて、一日も早く。近藤龍雄さんは所属部隊も分かっています。遺族にとっては本当に最後の望みです。ぜひ大臣、決断して下さい」などと述べた。

毎日新聞は今年2月18日朝刊で、硫黄島で戦死した男性、近藤龍雄さんの遺骨について、遺族がDNA鑑定を希望しているものの、所管する厚生労働省が拒んでいる事実を報道した。長年、戦没者遺骨の収容問題に取り組んでいる川田議員は、その記事をもとに速やかに鑑定することを求めた。しかし同省は応じない。そこで根本匠大臣に政治決断を迫ったのだ。

 

近現代の戦史に関心のある人ならば、硫黄島(東京都小笠原村)をご存じだろう。第二次世界大戦の末期、日米両軍が激突した戦地である。ノンフィクション、フィクションともども繰り返し描かれている。

東京の南およそ1250キロのこの島は、戦略上の要衝にあった。米軍が占領し戦略爆撃機B29の基地としたマリアナ諸島と東京のほぼ中間地点。米軍としては日本本土爆撃を支援する基地として、確保した島だった。逆に日本軍は何としても守るべき地だった。

米軍が満を持して上陸したのは1945年2月19日。日本軍守備隊2万人余りを3倍上回る戦力であった。日本軍への補給は途絶していたが、米軍にはふんだんにあった。だが日本軍は栗林忠道陸軍中将(戦死後大将)の方針のもと、総延長18㌔に及ぶ地下壕を拠点として米軍に消耗戦余儀なくさせた。同年3月26日まで組織的戦争を続けた。

日本軍の死者およそ2万、生き残ったのは1000人ほどだった。米軍は死者6821人、負傷者1万9217人。彼我の戦力差を考えれば、日本軍守備隊の驚異的な善戦だった。

本稿の目的は、こうした硫黄島の戦いを詳細に描くものではなく、戦没者遺骨に関することだ。

身元不明の遺骨1万体

硫黄島では1968年にアメリカから返還されて以来、ほぼ毎年日本政府による遺骨収容が行われている。半世紀で1万余体の遺骨が収容されている。つまり半分は見つかっていない。また見つかった遺骨も、ほとんどが身元不明だ。こうしたことから、我らが日本国における戦後未補償の実態がみえてくるだろう。

さて筆者が近藤龍雄さんのことを知ったのは2018年の春。とある団体で講演をした際、戦没者の遺骨収容問題について話した。聴講してくれた恵美子さんから「祖父は硫黄島で亡くなりました」ということを教えてもらった。

筆者が、厚生労働省が行っている戦没者遺骨のDNA鑑定により、遺骨の身元が分かって遺族のもとに還る可能性があることを伝えると、恵美子さんは「ぜひやってほしい」と話した。

大日本帝国の戦争によっておよそ310万人が亡くなった。戦後、戦友や国による遺骨収容が続けられてきたが、国内外で100万体以上の遺骨が眠っている。

そうした遺骨を掘り起こしても、身元は容易に分からない。ただ遺骨と遺族の双方からDNAを抽出し、付き合わせることで判明するケースがある。国は2003年度からこのDNA鑑定を始めた。これにより、2018年度までに1000体以上の身元が分かっている。