3月21日 数学者ジョセフ・フーリエが生まれる(1768年)

科学 今日はこんな日

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"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

「フーリエの法則」などさまざまな業績で知られるフランスの数学者、ジョセフ・フーリエが、1768年のこの日、フランス中部、ヨンヌ県のオセールで仕立屋の9番目の息子として生まれました。

フーリエは1777年に母を、1778年に父を亡くして9歳にして孤児となり、修道院で初等教育を受けます。1789年、フランス革命による人権宣言で貧しい身分から解放されたフーリエは、士官学校の教師となり数学の研究を進めていくことになります。

恐怖政治の時代に逮捕されたこともあったフーリエですが、ロベスピエールの死により自由の身となると、1795年に創立されたエコール・ノルマル・シュペリュールに第一期生として入学。すぐ頭角を現し、教鞭をとる側に回ることになります。

1798年からのナポレオンのエジプト遠征には、科学顧問として同行。帰国後はナポレオンが失脚する1814年までまでイゼール県の知事をつとめ、高い行政手腕を発揮します。この間、エジプトから持ち帰ったロゼッタ・ストーンをシャンポリオンに見せたり、熱伝導方程式(フーリエの方程式)を導くためフーリエ解析を展開したりするなど、学術的な活動も重ねました。

1817年からは科学アカデミーの会員となり、旺盛な執筆活動を展開します。1822年に刊行された著書『熱の解析的理論』は自らの熱伝導研究の集大成とも呼べるものでした。

ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエ Photo by Getty Images

その後もフーリエは学会で権勢を振るいながら後進の育成に尽力し、1830年に没するまでフランス科学界の大物として君臨しました。

フーリエは激動の時代に生きたにもかかわらず、先駆的な業績と社会的な成功を両立させました。いまもあらゆる分野でフーリエの理論が使われていることを考えると、その存在感は圧倒的なものであったといえるでしょう。

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