「車に飛び込もうとさえ思った」山根明・前会長が明かす苦悶の日々

戦後を生き抜いた男の数奇な人生
千吉良 美樹 プロフィール

この背景について山根氏は、ちょうどこの頃、近畿大学ボクシング部監督を務めていたS氏が、コーチへの暴力問題をきっかけに辞任したことが思い浮かぶという。S氏は、一連の告発騒動の最中にも「山根氏の元側近」という肩書きでメディアに出演していた。

S氏は近大ボクシング部の監督を退いた後、「山根氏が連盟を私物化している」として、一部週刊誌に告発を行っていた。

「彼が関与したかは分かりませんが、愛媛で受けた“おもてなし”は、タイミング的になんらかの思惑があったのではないかと推察しています。

というのも、S氏が近大ボクシング部の監督を辞任したのは、愛媛国体の3カ月ほど前のこと。本来なら除名処分でもおかしくありませんでしたが、自発的に退いたほうが社会的制裁を受けたと評価されるだろうと判断し、本人を説得した上での辞任でした。

しかしそれ以降、S氏はマスコミや自身のSNSを通じて私や連盟に対する批判を繰り返すようになった。愛媛国体は、ちょうどそうした最中に開催された大会だったんです」

 

「もうひとりの山根」がいた

しかし、ひとつ腑に落ちないのは、もしも本当に山根氏がクーデターのような形で退任させられたのであれば、事情を知る関係者らがもっと声を上げてもよかったのではないか、ということだ。

実際、告発文に署名していた333名は、47都道府県のうち14県の連盟関係者だった。残りの33県の連盟関係者をはじめ、日本連盟の関係者らはなぜ「日本ボクシングを再興する会」に対して異論を唱えなかったのか。

「自分を慕ってくれていた日本連盟の理事に関しては、私が『ひとりで戦うから、ほかは連盟に残ってアマチュアボクシングを守ってほしい』と頼んだために、じっと黙っていたのではないかと思います。

2020年の東京五輪が迫る中、選手たちのことを思えば、連盟内のゴタゴタで水を差すようなことはしたくなかった。ならば、きちんと選手たちのことを思いやれる人間が少しでも残って、本来の役目を果たしてほしいと思ったんです。

もうひとつは、実はこれは最近になってわかったことなのですが、私が長年可愛がってきた日本連盟の関係者が、近しい人たちに『山根会長が、お前に対して怒っている』『山根会長からの電話は取るな』などと言って回っていたようなんです。

私は言いたいことがあれば、直接会って自分の口で言います。しかし、知らないところで『もうひとりの山根明』が、皆を脅していた。そのために、長年慕ってくれていた連盟関係者らと、一時は連絡も取れなくなっていました」

「もうひとりの山根明」の存在について、氏は著書の中でこう綴っている。

〈ここ数年、時々、大学の関係者から「◯◯さんから、山根会長に指示されたと言われましたが、本当ですか?」と連絡をもらうことが増えていた。

気がつけば、私の知らないところに、〝もう一人の私〟が作り上げられ、本物の私はというと、裸の王様のように、踊らされてしまっていたのかもしれない〉(第5章P256より)