歴代日本代表が証言した、エースナンバー「10番」の重みと責任

木村、ラモス、名波、中村…

木村和司の証言

サッカーのエースナンバーは、背番号「10」である。

1958年のスウェーデンワールドカップで17歳のペレがブラジル代表を初優勝に導く大きな衝撃を世界に与えた。のちにサッカーの神様と称されるスーパースターが背負う10番は憧れの対象となり、エースナンバーとして認知されていった。ジーコもディエゴ・マラドーナもロベルト・バッジョもジネディーヌ・ジダンも、そしてリオネル・メッシも。国を超え、時代を超えて今なお「10番」の威厳に陰りはない。

つい最近、「日本代表の10番」が話題を呼んだ。コロンビア、ボリビアとの親善試合2連戦(22日日産スタジアム、26日ノエビアスタジアム神戸)でロシアワールドカップまでの先代10番・香川真司(ベシクタシュ)が代表に復帰したことで、現10番・中島翔哉(アル・ドゥハイル)とどちらが着けるのか、と世間の関心を引くことになったのだ。

そもそも日本代表にとっての10番とは、その役割とは。歴代10番の“証言”から10番の重みを紐解いていきたい。

 

日本で10番が注目されるようになったのは、“FKの名手”木村和司が登場してからだろう。1980年代、JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車でも、日本代表でも背負った。象徴的なシーンは無論、1985年のメキシコワールドカップアジア最終予選、ホームでの韓国戦だ。2点をリードされながらも、30mの直接FKを右足で叩き込んで一矢を報いた。当時はまだJリーグがなかった時代。日本サッカー屈指の名シーンと語り継がれるゴールがプロ化の促進に拍車をかけたと言っても、過言ではない。

10番のプレーとは何か、を彼に尋ねたことがある。

木村はこう言った。

「ひとつのプレーで何かを起こすというのは意識していたと思うよ。野球に例えれば巨人の長嶋(茂雄)さん、王(貞治)さんは打ってほしいときに打つでしょ? マラドーナもそう。ボールが渡ったときに何か起きそうだなと思ってみていると、本当に驚くようなことをやってくれる」

期待に応えてこその10番。木村は国際Aマッチに54試合出場して26ゴールを挙げている。10番の使命感が、ゴールへのこだわりを植えつけていくことになった。「代表は勝つためにやるもの」が彼の口癖であった。

1歳年下の木村を誰よりも認めていたのが、ライバルのラモス瑠偉である。読売クラブの黄金期を築き、毎年のように木村を擁する日産自動車と覇権を争った。ブラジルから日本に帰化を果たし、33歳になった1990年から日本代表に招集される。オフトジャパンになってから10番でプレーする。

ダイナスティカップ、アジアカップと続けてタイトルを獲得できたのも、ラモスの働きによるものが大きかった。ゲームメイクもさることながら、勝つために何をするかをプレーに落とし込もうとした。

ラモスは言っていた。

「ゲームさえ仕切ればあまり動かなくてもいいのが当時の10番タイプ。でも僕の場合は走って、守って、組み立てて、それで足をつって。僕のなかでは和司がつけた10番を超えなきゃと思っていた。“和司しかいない”とは言わせないってね」