『わたし、定時で帰ります。』はゆとり世代のある問いから生まれた

就職氷河期世代の私が辿り着いた答え
朱野 帰子 プロフィール

「あなたの働き方は、みんなを苦しくさせる」

2年も立たないうちに、私の向かいのデスクに座っていた先輩がうつ病で退職しました。さらに、その2年後、とある取引先から発注された業務の量が多すぎたことが原因で、今度は私が過労で入院しました。復帰して取引先に納期が遅れたことを謝りに行った時、大丈夫ですか、の一言もなく「病気はしないでください」と言い放たれたことを覚えています。

育った家庭でも、就職先でも、私の存在よりも、仕事のほうが尊い。もしかしたら、命よりも

職場では常に「あの人、過労死したらしいよ」とか「うつ病で社会復帰は絶望的」とかいう言葉が飛び交っていました。新卒採用が極端に絞られていたせいで、当然ですが、氷河期世代の若者の数は絶対的に不足していました。大量採用された世代の中高年の上司から、命令は大量に降ってきました。

ついに私のすぐ下の後輩がうつ病で休職することになりました。会議中に突然泣き出した彼女は、他の同僚にこう言ったそうです。

「先輩と同じようにはできない」

〔PHOTO〕iStock

先輩、とは私のことです。過剰品質だと言われるほど緻密に資料を作る。上司と長時間一緒に過ごす、たとえ先月の十倍もの業務を命じられても唯々諾々と従う。そんな先輩がすぐ上にいるなんてどれだけ苦しかったことでしょう。

でも私は戸惑うばかりでした。24時間、戦えますか。そんな程度働いただけで情けない。そうやって育てられ、他の働き方など知らないのです。

私は思い切って、入社初日に自分を怒鳴りつけた上司に「あなたのマネジメントには問題があるのではないか」と言ってみました。誰よりも従順だった部下に裏切られたと感じたのでしょう。上司は「そこまでわかっているのならあなたがこの問題に対処すればいいじゃないか」と言いました。当時、私は29歳でした。対して、上司は50代半ばの管理職。

「だいたいね、あなたの働き方はね、みんなを苦しくさせるんだよ」

そう言われて思いました。私は何のために働いてきたんだろう、と。

定時に帰るのは、自分の人生を尊重すること

ちょうどリーマン・ショックの直後でした。中途採用の求人数は前年の3分の1だと言われました。またもや氷河期です。それでも私は上司の目を盗んで転職活動を続け、なんとか食品メーカーに内定を得ました。

2社目の会社は驚くほどホワイトな職場でした。工場勤務の社員が多数を占めるその会社では、ホワイトカラーの業務効率の「カイゼン」にも厳しい目が向けられ、よほどのことがない限り残業は許可されませんでした。

定時に帰れる会社はあったんだ。自分で希望して来たくせに、それは私にとって受け容れがたい事実でした。しかも、その会社の利益率は高く、リーマン・ショックの直後でもボーナスは夏も冬もきちんと出ていました。その代わり、社員は短時間で高い成果を出すために、常に知恵を絞らなければなりません。定時がやってくるたびに私の頭は発熱しそうなほど疲弊しました

けれど、自分のものになった定時後の時間で、私は簿記の資格を取得したり、小説を書いたりできるようになりました。生まれて初めて、自分の人生を尊重されているという安心感を味わっていました

一方で、自分だけ助かったといううしろめたさも抱えていました。うつ病で辞めていった同僚たちは何のために犠牲になったのでしょうか。