組み合わせ無限大! 「ニオイ」を測って世界平和を達成する方法

科学技術と社会をつなぐ架け橋に!
清水 修, ブルーバックス編集部

ヒトの鼻とMSSの微妙な関係

この30年ほどでようやく明らかになってきた「鼻がニオイを嗅ぐメカニズム」。MSSの原理を知るためにはこのメカニズムを知らねばならない。

空気中から鼻に入り込んだニオイ分子はまず、鼻腔の天井部にある嗅細胞によって感知される。嗅細胞の先端の嗅繊毛に嗅覚受容体(つまりセンサー)があり、ここでキャッチされたニオイ分子は嗅細胞で電気信号に変換される。

その電気信号は嗅球を経て、脳の前梨状皮質、扁桃体、視床下部、大脳皮質嗅覚野(眼窩前頭皮質)などに伝わり、情報分析されて「あ、○○のにおいだ!」と認識されるのである。 前述したように、ヒトには約400種類の嗅覚受容体があると言われている。

【図】ニオイを感じるしくみ
  ニオイを感じるしくみ 参考:ブルーバックス『新しい人体の教科書 下』

この経路だけ聞くと分かりやすいが、吉川さんが言うように、ことはそう簡単ではない。

問題はニオイと受容体が一対一対応ではないということだ。

「ひとつのニオイ」は、数種から時には数千種もの分子で構成されており、それぞれの分子は、複数種類の受容体と結合する。こうして結合した受容体のパターンを脳が過去の記憶と照合してニオイを認識する。

世の中に存在するニオイ分子は数十万種類あると言われており、それぞれが複数の異なる受容体と結合するのだから、ニオイを同定するための「結合する受容体のパターン数」はどんどん無限に近づいていく。まあ、鼻と脳ってすごいってことですよね。

「MSSでは鼻における受容体の代わりに、センサーの上に塗った『感応膜』というものでニオイを捉えます。飛んできた分子がこの感応膜にひっつくと、分子の性質に応じて膜がちょっと歪むというか、変形します。ほんの少しだけ。その変化を電気信号に変換してデータにするのです。

鼻の中の嗅覚受容体がおよそ400種類もあることを模して、感応膜もさまざまな材質でたくさんの種類を作っています。現在、すでに数百種類の感応膜があって、すべてセンサーとして機能することを確認しています」(吉川さん)

MSSのセンサー『感応膜』MSSおよび感応膜の構造と動作原理(「MSSフォーラム」より転載)

となると、ほとんど無限みたいな「結合する受容体のパターン数」に当たるデータ、つまり、どの感応膜が反応するかというデータを貯めて、それを記憶のデータベースにする作業が必要なはず。照合して「あ、○○のにおいだ!」と答えを出すために。

「そうなんです。それが大変。とにかく膨大なデータを貯めていって、そのデータからニオイを同定するAIが必要になってくるわけです」(吉川さん)

MSSアライアンスとMSSフォーラムを設立

ここで少し、実験室を見学させていただくことにした。

まずはMSS標準計測モジュールの初号機、二号機、三号機。じゃなくて、第一世代、第二世代、 第三世代。これらのモジュールにはニオイ分子を送り込むためのポンプが付いているが、ポンプを使わない測定方法も開発している。これについては今村岳さん(前出・独立研究者)が説明してくれた。今村さんはこの吉川チームにおいて、主にデータ解析の精度を上げる研究を進めている。

「新しい解析方法を開発して、さらに精度を上げていくことによって、ニオイにMSSをかざすだけで計測できるようになりました。ポンプがない分、システム全体を非常にコンパクトにすることができます」(今村さん)

ニオイセンサーMSS左から第一世代と第二世代のMSS標準計測モジュール。右はモバイルプロトタイプ機(撮影:長濱耕樹)

次に、感応膜を作製しているところを見せていただいた。柴弘太さん(前出・主任研究員)はこの吉川チームにおいて、さまざまな材質の感応膜を作っていくという研究をしている。

「センサー部分の上にインクジェットで感応膜の材料をポタポタと垂らします。やがて溶媒が揮発して少しずつ膜になっていきます。他にも作製方法として材料が溶解あるいは分散した液体にセンサー部分を浸す方法などがあります。

いろいろな方法で作ってみて、最も効率的で品質を保てる作製方法を模索しているんです」(柴さん)

MSSインクジェット塗布装置(撮影:長濱耕樹)

日夜研究を続ける研究チーム。このような基礎研究と並行して、実用化に向けての動きも進んできた。

2015年9月、MSSの実用化を加速すべく、国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)、京セラ株式会社、国立大学法人大阪大学、日本電気株式会社、住友精化株式会社、NanoWorld AGの6機関共同で、要素技術の研究開発を行う「MSSアライアンス」を発足させ活動を継続している。さらに2017年4月には、旭化成株式会社もこのMSSアライアンスに参加した。

MSSアライアンスでは、先に紹介したMSS標準計測モジュールなどのセンサーデバイス開発、感応膜材料の開発、精密評価システム開発、計測データ分析・解析環境の開発などの重要要素技術を研究開発し、やがてはMSSを軸とした嗅覚センサーの「規格」を確立しようとしている。メーカーがさまざまなものにMSSを組み込めるように標準規格を定めようとしているのだ。

この規格ができあがれば、まさに嗅覚センサーのデファクトスタンダードとして世界に浸透していく可能性が高い。

さらに、2017年11月には、MSSのオープンな実証実験を行うべく「MSSフォーラム」が設立され、多くの企業が加入して実証実験が始まった。