「起業家集団」を作りたい

特に大きな目標を掲げていたわけではない。自分にできることをやろう、と考えて作ったオーダーメイドの店。ところが開店後すぐに作り置きもすべて売れてしまい、しばらくは生産が追いつかない状態が続いた。今は従業員も雇っている。

「鞄の街ですから、みなさん、やっぱり鞄に敏感なんですよね。お洒落なものがあると、すぐに見に来てくれる。いいと思うとすぐに買ってくれる。一度に2、3点オーダーいただいたこともあります」

作り手としても、豊岡だからこその利点がある。例えば、革の仕入れ。全国の皮革メーカーが、豊岡に売り込みに来てくれるのだ。

「実は最初は、インターネットのオークションサイトで革を買っていたんです(笑)。方法がわからなくて。でも、カバンストリートにお店を開くと、次々に営業を受けた。おかげで、イタリアやアメリカなど海外のものも含めて、いい革をたくさん手に入れることができています。鞄づくりに関して、やっぱり豊岡は恵まれていると思いました」

思わぬ顧客も開拓できた。隣町は、全国有数の温泉街、城崎温泉。ここを訪れた観光客が、鞄を求めてカバンストリートにやってくるようになったのだ。

「しかも、ここまでやってくる方には、やっぱり鞄好きの人が多い。ちゃんと商品の良さをわかってもらえる。しかも、本当に鞄が欲しくて来ているんですね。だから、無理に接客しなくても、これはいいね、とオーダーいただけたり、リピーターになっていただけたりしています」

土生田さんの周囲には、同じように鞄での起業を考えている同世代も少なくないという。

「やりたい、と言っている人はたくさんいますよ。今後はプロデュースできる環境を整え、みんなで起業家集団を作れたらなぁ、なんてことも考えています。買いたい人、作りたい人、仕入れたい人、売りたい人、鞄のまわりにいろんな人が集まる場所が豊岡なんです。豊岡は鞄の聖地、まだまだ大きなポテンシャルがあると思っています」

「継ぐな」と言われた家業を…

父親が41年前に創業した鞄の事業を引き継ぎ、法人化して社長に就任したばかり、という若き経営者もいる。(株)ナオトの宮下栄司さん、40歳だ。

宮下さんの父は、豊岡の鞄産業が絶好調だった時期をよく知っている。それだけに、バブル崩壊後の厳しい状況を見て、息子には『継がないほうがいい』と語っていたという。

「うちは学校指定鞄などをメインに手がけていましたが、海外製品に対抗するために、単価がどんどん下がっていました。これでは、とてもやっていけないと考えたんだと思います」

だが、宮下さんは鞄が好きだった。子どもの頃から、鞄づくりがすぐ身近にあった。この仕事をしたい、とずっと思っていたという。大阪の専門学校に2年通うと、故郷の豊岡に戻って父親の仕事を手伝うようになった。

かつての豊岡の鞄は、工場内ですべて作るわけではなかった。鞄づくりを細かい工程に分割し、それを各家庭での内職に出していくのだ。作業を担ったのは主婦たち。さまざまな工程を低コストで担い、それをメーカーがまとめ上げていく仕組みだった。

ところが90年代以降、この内職ネットワークがどんどん高齢化し、豊岡のコスト競争力に負の影響を与えるようになった。同時に始まったのが、海外製品との戦い。事実、宮下さんが父親の仕事を手伝い始めて間もなく、売上はガクンと落ち始めたという。

「それでも、父は新しい取引先を開拓し、なんとか乗り切ってきました」