グローバル化、円高、デフレ、需要減、都市集中、人手不足……。バブルのピークから30年。日本経済は、かつてないほどの荒波に襲われてきた。特に大きな打撃を受けたのが、地方の地場産業だ。

しかし、壊滅的な状況に陥っている地方もある中、再び勢いを盛り返してきた街が出始めている。そのひとつとして、多くの地方都市から注目を浴びているのが、日本一の鞄の産地、兵庫県北端に位置する豊岡市だ。

兵庫県工業統計調査によれば、豊岡市の鞄製造業は年間277億円を誇った1990年をピークに、過去最低となる2004年の66億円まで急激な右肩下がりで製造品出荷額を落とし続けるが、そこから少しずつ反転を始める。そして2013年には106億円まで回復、名実共に東京都足立区を抜いて国内トップの産地となった。

伸びているのは出荷額だけではない。地場産業に従事する従業員数も増えている。若者たちが鞄産業に戻ってきたのだ。しかも全国から20代、30代の若者たちが豊岡にやってきて、市内のメーカーに次々と就職しているという。いったい豊岡に何が起きているのか。

5年間で26名の若者が移住した

今、豊岡で、観光客や鞄職人を目指す若者たちがやってくる、ある場所がある。「トヨオカ カバン アルチザン アベニュー」だ。2014年、豊岡駅から少し離れた商店街の一角に、3階建ての洒落たビルとしてオープンした。

1階と2階は、豊岡で作られた鞄を販売するショップが展開されている。陳列された色とりどり、さまざまな種類の鞄や財布の量は、さすがは日本一の産地、まさに圧巻だ。

そして、この建物の3階に、鞄職人育成専門校「アルチザンスクール」がある。

建物の内側は吹き抜けになっており、アルチザンスクールで学んでいるスクール生たちがミシンを踏んだり、鞄を作っている音が、階下のショップに響き渡る仕組みになっている。

アルチザンスクールで鞄作りを学ぶ生徒たちの様子

スクールとショップを運営しているのは、市や商工会議所などが出資してできた第三セクターの豊岡まちづくり(株)。代表取締役でスクール代表でもある山﨑俊幸社長はいう。

「鞄のメーカーだけではなく、生地の会社も、部品の会社も、とにかくみんなで職人を育てよう、と一致団結してスタートしたことが、このアルチザンスクールの何よりの特色です」

開校から5年で卒業生は43名に。うち29名が市内の鞄企業に就職しているが、なんと26名は市外出身者。5年間で26名もの若者が、全国から豊岡に移り住んで鞄職人になったのだ。

このアルチザンスクール開校の伏線になったのは、昔からの豊岡の地場産業・鞄作りの人材育成に関する強い危機感だったという。

そもそも、なぜ豊岡は「鞄のまち」となったのか。背景には、鞄作りを担う人々が培ってきたネットワークがある。

もともと豊岡鞄のルーツは、奈良時代に朝廷にも上納していたともいわれる「柳筥(やなぎかご)」といわれている。これが後に、柳を使った入れ物「柳こうり」へとつながり、豊岡の特産品として全国に広まった。

「柳こうり」づくりは、農業従事者が農閑期に行うことも多かった。「柳こうり」が鞄産業へと変わっていく過程で、この仕組みはそのまま引き継がれていく。つまり、家での内職だ。鞄づくりを細かなプロセスに分け、それを家庭での内職ネットワークに委ねるようになっていったのだ。

大量の鞄を低コストで製造できたのは、主婦を中心とした、この内職ネットワークが豊岡にあったからこそ、だった。ところが近年、時代の変化や高齢化でこのネットワークがじわじわと崩れ始める。家で内職するよりも工場で働きたい、という若い人たちも増えた。

ベトナムにも750人規模の工場を持ち、従業員数1000人を超える豊岡市最大の鞄メーカー、(株)由利の由利昇三郎社長はいう。

「鞄づくりは近年、どんどん技術的な難易度が高まっています。そうすると、鞄を作ってみたい、という若い人が入ってきても、簡単には習得できない。現場は忙しいですから、教育もじっくりできない。これでは、せっかく入った若い人が長続きしません。このままだと鞄づくりを担う人がいなくなってしまう、という大きな危機感があったんです」

(株)由利の由利昇三郎社長

危機感を抱いた先代社長が構想したのが、縫うことに特化した職業訓練施設だった。若者を対象に、鞄を縫うミシンの技術をしっかり学ぶことができる施設を作ることを考えたのだ。