日本の先祖に!?なぜ諸葛亮(孔明)は「明治の偉人」になったのか

局アナが語る「三国志の日本史」③
箱崎 みどり プロフィール

第二期『尋常小學讀本』(明治42年~)の「諸葛孔明」は、「三国志」の孔明を網羅的に取り上げています。

三国時代に至る時代背景と「三顧の礼」から書き始め、劉備が不満を漏らす関羽と張飛に「水魚の交わり」のたとえを出したこと、蜀を興し天下を三分し劉備の遺児を託されたこと、蜀の国を支え南方を平らげ、孟獲を「七縦七擒」したこと、北伐を前に「出師の表」を出したこと、規律を重んじ、「泣いて馬謖を斬」ったこと、魏との対陣中に没したが「死セル諸葛、生ケル仲達ヲ走ラス」、敵である仲達からも敬意を払われたことが綴られています。

ことわざになっている孔明の事績を繋ぎながらも、『三国志演義』で膨らんだ赤壁の戦いでの活躍については、一言も触れていません。一方で、「孔明ハ沈着ニシテ、機ニ臨ミ、變ニ応ジテ、智謀百出セリ」と、スーパー軍師のイメージをなぞり、孔明の忠義と功績を称賛しています。

文学研究者の木村一信氏は、教科書にとりあげられる人物の常としての理想化が見られ、最も望ましい人間像として当時の小学生に受け止められたであろうこと、さらには、教師の扱い方によっては、忠君愛国・至誠・無私の人としての側面や、悲劇の人という解釈もなされただろうと言います。

第三期『尋常小學国語讀本』(大正7年~)「孔明」は、文語形式の短い詩に、孔明の生涯が謳われています。

第一連は、臥龍時代の孔明が、晴耕雨読の日々を送っていたこと、第二連は、三顧の礼と出盧、第三連は、天下三分の計と蜀を建国し劉備が帝位に就いたこと、第四連は、忠義を尽くしながらも、五丈原で敗れたことを取り上げています。

末尾の第四連は、以下の通りです。

二代の帝に盡す眞心、
 強敵ひしぎて世をしづめんと、
  三軍進めし五丈原頭、
   はかなく露と消えしかど、
    其の名はくちせず、諸葛孔明

孔明の忠義と、志半ばで世を去ったこと、しかし名を残したことを訴えます。

木村氏は、忠義の強調と、最後の一文が土井晩翠「星落秋風五丈原」と類似していることを指摘しています。

教科書での孔明は、明治時代に求められた、国に尽くす忠義の人であり、それでも志を果たせなかった悲劇の人として、英雄化されていると言えるでしょう。

群を抜く孔明の評伝

教科書に載った孔明の伝記は、ごく短いものでしたが、これを膨らませて本にしたようなものが「評伝」。明治時代以降、その数が増えていきます。

評伝には、ある人物に関する様々な資料を組み合わせ、読み解きにくい史料・漢籍の内容を世間に広く示すとともに、著者の解釈や考えも色濃く打ち出されています。物語の登場人物「孔明」から、三国時代を生きた実在する人物としての「孔明」へ、読者の意識を変えていきました

近代日本で評伝になった三国時代の人物は、孔明しかいません。近年は、曹操や劉備のものも出てきましたが、孔明の評伝は、数も歴史の古さも、群を抜いています。

明治30(1897)年に発行された内藤虎次郎『諸葛武侯』から昭和17(1942)年の太田熊藏『諸葛孔明傳』まで、以下のように、少なくとも10作品もあるのです。

1 内藤虎次郎『諸葛武侯』(東華堂、1897年)
2 安東俊明『孔明』(世界歴史譚第14編、博文社、1900年)
3 西脇玉峰編『諸葛孔明言行錄』(偉人研究第29編、内外出版協會、1908年)
4 吾耻庵主人『我愛する偉人』(敬文館、1911年)
5 白河鯉洋『諸葛孔明』(敬文館、1911年)
6 杉浦重剛・猪狩又蔵『諸葛亮』(偉人傳叢書第1冊、博文館、1913年)
7 安岡正篤「王佐の偉人 諸葛孔明」(『東洋思想研究』第12册、1924年)
8 中川重編「諸葛孔明」(『偉人』第9巻、第5号、日本社、1930年)
9 宮川尚志『諸葛孔明』(支那歷史地理叢書8、冨山房、1940年)
10 太田熊藏『諸葛孔明傳』(山水社、1942年)

なぜ孔明だけが人気を博したのか

管見の限りでは、三国時代の人物で、伝記的に教科書に載ったのも、評伝が多数出されたのも、孔明だけ。

なぜ、他の人物ではなく孔明だけが人気を博したのでしょうか?

文学研究者の井波律子氏は、江戸時代には冷静に見られていた孔明のイメージが、明治になると一気に悲壮美を帯びるとし、変化のきっかけとして、土井晩翠の『星落秋風五丈原』を挙げています。

晩翠が孔明を悲劇の愛国的英雄として浪漫的に描いたことで、明治という国家主義的な時代精神に沿う孔明イメージが生まれ、人気を支えたといいます。

孔明だけが評伝に採り上げられた理由は一つではなく、『三国志演義』で善玉の蜀のメインキャラクターで元々人気があったこと、志半ばで没するところが判官贔屓の日本人の感性に響いたこと、また、井波氏の指摘の通り、明治という時代の空気もあったことは否定できないでしょう。

私は、孔明の生涯が教育的・啓蒙的に見えることもポイントになったのではないかと思います。

例えば、『三国志演義』を改訂した毛宗崗は、特に優れた登場人物「三絶」として、曹操・関羽・孔明の名を挙げているのですが、この三人の中で、青少年に教えその目標にするとしたら、孔明しかいないのではないでしょうか。

曹操は、当時悪玉で、まず教科書には向きませんし、曹操の言動を学んだとしても、皆が曹操のような人物を目指したら、社会が混乱してしまいます。曹操的な人物は、信長だけで十分。

関羽は、武将ながら読書もし、忠義に篤いイメージですが、武による活躍がほとんどで、晩年の呉との外交的な失敗はその身を滅ぼしてしまいます。

楠木正成と重ね合わせられた

一方、孔明は、国定教科書第二期が、ことわざを繋いで出来上がったように、それぞれのエピソードも、どんな職業に就くにせよ、知っておいて損はない、道徳的な教えを含むものばかりです。

特に、劉備から遺児を託され必死に支えた「忠義」は、当時の「日本」が求めた大切なポイント。

明治から戦前にかけて、孔明は、楠木正成と重ね合わせて考えられることも増えるのですが、この楠木正成も、尊王思想から明治にかけて、評価が高まった人物。

後醍醐天皇に忠義を尽くしたことから、忠臣として称揚された楠木正成は、孔明と同じく戦前の教科書に載り、銅像になり、神社ができ、映画化されるに至るのです。