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「差別は許さないが、優生思想は見逃す」リベラル社会の矛盾

自由か、倫理か、どちらを選ぶ?

「自由」と「生命倫理」の衝突が起きている

〈中国広東省の南方科技大の賀建奎副教授が「ゲノム編集により遺伝子を改変した受精卵で双子を誕生させた」と発表した問題で、同省の調査チームは賀氏の主張は事実だと認定した。動機については自分の名声や利益を追い求めるため、としている。国営新華社通信が21日に伝えた。ゲノム編集された子どもが生まれたのは世界で初めて〉(「朝日新聞デジタル」2019年1月21日、『「ゲノム編集の双子」中国当局が事実と認める 世界で初』より引用。
https://www.asahi.com/articles/ASM1P63VLM1PUHBI02P.html

SFでときどきテーマになっていたような、遺伝子編集がなされた子どもがいよいよ現実のものとなるようだ。これについては真偽不明の情報とされていたが、中国当局によって事実であることが認められた。

彼らは、公に確認された「デザイナーベイビー」第一号ということになるのだろうか。当然のことながら、安全性や倫理の観点から大きな論争を巻き起こしている。

「生まれる命がどのようにあるべきか(あるいは、あるべきでないのか)」というパターナリズムをどの程度まで及ぼしてよいのか、というのはいまだ定まった解答をみないテーマのひとつだろう。とくに現代社会でその文脈で問われているもののひとつが、いわゆる「出生前診断」だ。

〈検査で陽性(=異常)だった人は933人。このうち、妊娠を継続した妊婦は、わずか26人です。2.8% に過ぎません。胎児が子宮内で死亡した症例もありますが、羊水検査で確定診断を受けて、あるいは羊水検査を受けずに人工妊娠中絶を選んだ妊婦が90%を超えていることが報告されています〉(「ヨミドクター」2019年1月10日、『ダウン症「みんな中絶しているから自分も」…新型出生前診断の拡大がはらむ危険と怖さ』より引用。https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181214-OYTET50033/2/

出生前診断には、もちろん当事者のさまざまな事情がひとつひとつの背景にあることはいうまでもない。しかしながら、どのような理屈があるにしても、社会の中で「劣っている」とみなされる存在を排除しようとする、優生思想と隣り合わせの行為であることは否定できない。

 

出生前診断は、「命の選別」を行う優生思想を助長しかねないという観点から批判されている。しかし、そのような批判もまた「健常児を産んで、幸せになりたい(幸福追求権)」という思いと衝突するものだろう。事実、医師や当事者の中には憲法第13条に定められた幸福追求権をもとに、出生前診断を正当なものとする見解もあるようだ(https://www.ritsumei-arsvi.org/publication/center_report/publication-center22/publication-331/)。

憲法が定めた「基本的人権」の重要部分をなす「幸福追求」の権利と、他の人権や倫理の領域との間でコンフリクトが生じている。かりに出生前診断などという技術が登場しなければ、このような問題は生じなかったはずで、これはある意味では現代社会におけるバグのひとつといえるのかもしれない。

今後は出生前診断だけでなく、両親や胎児の遺伝子を編集することで、遺伝性疾患のリスクを最小限にでき、健康な子どもを安心して産める社会がやってくるかもしれない。

ただしそのような技術が確立した暁には、遺伝子編集は病気を発見するためだけに活用されるわけではないだろう――容姿や運動能力、知性や性格特性などにも手を加えたくなるはずだ。