「横浜の奥地」にある小さな居酒屋がいつまでも繁盛している理由

ロビンソン酒場を往く③
加藤 ジャンプ プロフィール

老衰する巨大団地のオアシスとして

そもそもここは、近くに、公営の団地がある。2325戸をかかえる巨大団地は、この店が開業した頃に第1期ができあがった。

かつて、この店から二番目に近い駅である相模鉄道の鶴ヶ峰駅近くの川沿いには横浜の地場産業である捺染工場が多くあった。その後、幹線道路ができて、それにそって多くの工場ができ、そこで働く人々もこの団地に暮らすようになった。

そして、この団地の住民の、家の近くの飲み屋として、多くの客をかかえていた。しかも、駅から遠いから、家の近くまで帰ってきて飲む需要が高かった。

 

団地の住民が若かった頃は、とん春のあるエリアにも商店が多くあり、相沢さんは

「ちょっと足りないものがあったりしたときは、すぐ八百屋さんに行ったりして便利だったんですよ」

と懐かしそうに言っていた。そしてつづけた。

「時代の流れですもんねえ、スーパーができて、車で買い物に行ってすませるようになっちゃったから」

これが、一つには、この店がサバイブできた理由の一つでもある。小売が大型化し、幹線道路が近くにあるこの場所ではことさら、大型店舗の開業(撤退もあるが)が盛んである。

八百屋や魚屋が、おもに価格競争で苦戦を強いられてやがて廃業したのに対し、単純な価格競争以外にも競争の要素が多かった飲食店は、小売よりは比較的、個性を発揮しやすかった。とん春のような個性の塊のような店が生き残るわけである。

どこの街も同じように、この団地も高齢化が進んでいる。したがって、かつてのように、団地の住民が仕事帰りに一杯やるという需要は下がり続けている。団地も空きが増えた。横浜市は全体としては人口が増えているが、地域で偏りはある。

店の近所を歩いている人に聞くと

「間取りが狭すぎて、若い人の暮らしにはあわないのよ」

と寂しげに言った。そのとおりなのだろう。しかし、その状況でもこの店が、愛されているのは、団地の高齢化にともない、ある種のコミュニティーの寄り合い所のような役割をも果たしているところも大きいはずだ。

被災者の受け入れも行った

店にいると、相沢さんから、店で預かってもらっていたものだけを持っていく近隣の住民や、飲んでいる客に挨拶だけしていく客がいる。さらには、すでに団地から引っ越した若年世代が、やってきては、煮込みをタッパーいっぱいに買っていく。

自治体で設置した「コミュニティセンター」のような場所の多くが昼だけしか機能しないのに対し、この店は、午後3時から深夜まで開いている。孤独にならないための、大切な、コミュニティの受け皿としての機能を果たしているのである。ちなみに、この団地は、熊本地震の被災者の受け入れもおこなっている。

わざわざ行くだけの価値がある、だから、はやりつづける。

相沢さんに店名の由来を聞いたら

「昔は、焼き鳥は、豚でやったんですよね。いい豚をあつかってるから「とん」をつけようと思って」と言うので「春はどこから来たんでしょうか」と問うと「なんか、ゴロがいいでしょ」「理由なんてないんですよ」と笑った。もしかすると、このロビンソン酒場がはやりづけるのは、こういうところに、真髄があるのかもしれない。