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「なぜ私を産んだ!」親や医師を訴えるロングフル・ライフ訴訟とは何か

「反出生主義」という思想

本人の同意なしに子どもを生んではならない!?

先日、「自分を本人の同意なしに生んだ」ことを不服として両親を訴えた人物のインタビューが、ウェブマガジンGigazineで紹介され(インド発のウェブマガジンLatestLYに掲載された元記事はこちら)、一部で話題になった。

訴えの主であるラファエル・サミュエル氏はインドのムンバイに住む27歳の男性。上掲の記事やYouTubeにアップロードされたサミュエル氏自身による説明によると、今回の行動はだいたい次のような理由から出たもののようだ。

――人は生まれることに同意したわけではないのだから、自分をつくった両親に対して恩返しをする義務などない。そもそも親は自分の快楽のために子どもをつくるのであって、当人のためにつくるわけではない。もちろん、親のために心から何かをしてあげたいと思う人はそうすればいいが、そうする義務を負っているわけではない。子どもは親の所有物ではなく、独立した人格であることを、インドと世界中の親たちは理解すべきだ。

これだけを読むと、親を訴えるという行動は別としても、サミュエル氏の主張はそこまでわけのわからないものではないようにみえる。しかも彼自身は両親とは仲が良いというから、どうやら自分が生まれて存在していることを本気で嘆いているわけでもなさそうだ。

これは推測だが、もしかしたら彼は、インドの家父長制的な家族制度を批判するために、突飛なやり方で問題提起をしたかったのかもしれない。

けれども、サミュエル氏自身の意図は別として、その言動そのものには、一人の変人による奇矯な主張というだけでは片づけられない奥行きがある。それを把握するためには、「反出生主義」と呼ばれる哲学的主張、そして「ロングフル・ライフ訴訟」と呼ばれる実際にこれまで行われてきた裁判について知っておく必要がある。

これらは突飛な主張や事例と思われるかもしれないが、実はこれからの社会にとって、また私たちが人生の意味を考える上で、重要な示唆を含んでいる。以下ではこれらについて順を追って解説してみたい。

反出生主義とは何か

サミュエル氏は自分の主張を「反出生主義」(antinatalism)と称している。反出生主義とは、子どもを生むことは悪いことだと主張する特異な哲学・倫理学上の立場で、ここ十数年、南アフリカの哲学者デヴィッド・ベネターが精力的に展開したことで注目を集めている。

ベネターの主張の要点はこういうことだ。――人間にとって、生まれて存在することは本質的に苦痛であり、誰も生まれない方が望ましい。すでに生まれてしまった人を殺す必要はないが、これから生むことは避けるべきである。

 

昨今の日本ではたちまち「中二病」として嗤われてしまいそうだが、こうした主張には古代から近代に至るまで、数多くの厭世家たちによって連綿と積み上げられてきた歴史がある。

たとえば紀元前6世紀のギリシアの詩人テオグニスは、「この世に生まれなかったこと、陽の輝きを見ないこと、地上に生きる者にとって、これより優ることはない」と歌ったし、『旧約聖書』の「コヘレトの言葉」には、「すでに死んだ人は生きている人よりも幸いである。だがその両者よりも幸いなのは、生まれてこなかった者だ」という一節が見える。