ペリー来航の2年前に帰国した万次郎は、幕末の日本に多大な影響を与えた(photo by gettyimages)

作家山本一力が、同郷のジョン万次郎を通じて語る歴史小説の魅力

最初にアメリカで学んだ男の奇跡の冒険

2019年1月26日、高知桂浜の龍馬像のほど近くにある高知県立「坂本龍馬記念館」にて、直木賞作家の山本一力さんによる特別講演会「名を求めなかった男 ジョン・マン」が開催された。本記事ではその模様をダイジェストでお届けする。

山本さんは、ジョン万次郎を主人公にした大長編小説「ジョン・マン」を執筆中。第一部「波濤編」、第二部「大洋編」、第三部「望郷編」、第四部「青雲編」、第五部「立志編」、第六部「順風編」までが書籍化、現在は第七部「金鉱編」を「小説現代」にて連載中だ。

その執筆のまっただ中に、同記念館新館の「ジョン万次郎展示室」で開催されたのが、特別展「ジョン・マンと呼ばれた男~中濱万次郎」。ここでは、万次郎が漂流・帰還した顛末を〈若き日の龍馬の師匠〉河田小龍が聞き取った資料「漂巽紀畧【ひょうそんきりゃく】」の写本や、万次郎らを救出したアメリカ捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の航海日誌などの貴重な資料が展示されている。そうした貴重資料に刺激された山本さんが語った、ジョン・マンの真実、そして小説の構想とは――?

 

いまあらためて注目される<ジョン・マン>の奇跡

――講演の冒頭、山本さんは自らが高知の出身である事を紹介しながら、会場の坂本龍馬記念館がある桂浜には小学校の時によく遠足で来たところだと懐かしみながら、思い出を振り返る。

山本さん「引率の先生が、眼の前に広がる太平洋を指さしながら、江戸時代の後期、子どもの頃の万次郎は、この大きな海を渡ってアメリカにいったんだぞ、といって僕らの心を鼓舞してくれたんです」

――万次郎は、江戸後期の天保10年(1841年)、土佐の少年漁師として仲間と出漁中に足摺岬近辺で遭難、漂流後たどりついた無人島で奇跡的にアメリカの捕鯨船に助けられた。そしてその捕鯨船の船長にアメリカ東部の町で養育され、「アメリカ市民レベルの教育を受けた初めての日本人」となる。捕鯨船に乗って世界中の海を航海するなど、デモクラシーのアメリカで10年を過ごし、ふたたび日本に帰還するという、当時の日本人としては「未知との遭遇」的な、類い稀な冒険をした人物として知られている。

また、万次郎は奇跡の生還をしたというだけでなく、アメリカ学んだ英語、数学、航海術をはじめとする西洋近代の制度や風習、文化を持ち帰り、その知識は、ペリー黒船来航で開国か攘夷かで揺れていた日本国内に大きな影響を与えた。坂本龍馬の海援隊構想にもつながったとも言われている。

故郷高知市の坂本龍馬記念館で講演する山本一力氏。龍馬も同郷の先輩・万次郎から多くのヒントをもらっている

山本さん「いま日本の若者は閉塞状況の中にいるといわれ、、留学も含め、日本の若者が海外に行かなくなっていると聞きます。海外の事情など、ネットで調べれば充分というのでしょうが、実際に体験、体感する海外では、まるで違う。こういう現代だからこそ、世界を舞台にした万次郎の貴重な生涯に接してほしいのです」

万次郎とわたしは同じ14歳で土佐を離れた

――1948年生まれ、現在71歳の山本さんが高知市を離れたのが14歳のとき。経済的事情で先に上京した母を追っての上京で、もうここには帰れないという思いの離郷だったが、奇しくも同じ14歳の時、漁に出た万次郎は足摺岬近辺で遭難し漂流民となった。

万次郎の肖像画

山本さん「その漂流から「小説より奇なり」の生涯が始まるのだけれど、出漁のとき、万次朗は、まさかこれでもう故郷に帰れなくなるとは思わなかったでしょうね」

――万次郎は、救出してくれたアメリカ捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船長ホイットフィールドにその才を認められ、自らといっしょにアメリカ本土へ来るように誘われる。

山本さん「万次郎はいっしょに漂流された漁師仲間と分かれてホイットフィールド船長の捕鯨船の乗組員になることを自分で選んだものだと思うんですが、なぜ捕鯨船に乗ることを選んだのか、という万次郞の気持ちは、作家の想像力の中で書いていくわけです。ですから、それは史実とは違うかもしれない」