ロンドンで生まれニューヨークも経験。高校生の頃に女優を目指す

ところで、彼女自身はどういった幼少期を過ごしていたのだろう。プロフィールによれば、1976年、イギリスのロンドンで生まれ、中学生の頃にはニューヨーク暮らしも経験。パワフルでポジティブな生き方は、そういったバックグラウンドが影響しているのだろうか。

「どうだろう。ロンドンは3歳までいましたが、あんまり記憶はないですし。とにかく普通の子でした。取り立てて何かに秀でていることもなく。勉強もスポーツも全然ダメだったですし。4月生まれなんで、身長は高かったりしましたが、次女ですから、クラスをまとめるお姉さん的存在でもなく。好きな教科は……国語かな。本が好きだったから。

あと、おばあちゃん子でした、私は。祖母は亡くなるまでずっと一緒に住んでいたんです。よく一緒に相撲を観たのを憶えてますね。マラソン中継とか(笑)」

 
――では、中学生の頃に経験したニューヨーク暮らしはどうでしたか? カルチャーショックを受けたことは?

「私が過ごしていたころは、あまり治安が良くない時期だったと思います。だから、カルチャーショックだったことといえば、世界には危ない場所があるということを知ったということ。日本って安全なんだなって。

あと、音楽が好きになりました。これは大きなカルチャーショックだったかも。ニューヨークに住んでからヘビーメタルやラップが大好きになったんです。ニューヨークで大流行していましたから。当時、MTVという音楽チャンネルをよく観ていて、それを観てこれは楽しいぞって。CDも日本に比べれば安いですから、たくさん買って。いまも音楽は大好きです。ブルーノ・マーズにハマってますね。レディー・ガガとか。子どもも一緒に聴いて踊ってます(笑)」

「一生、女優でいたい」そう思えることが幸せ

――では、女優への憧れを抱くようになったのはいつ頃からでしたか?

「高校生ぐらいからです。昔から物語を読むのが好きでしたし、舞台を観たり、映画を観たりするのが好きだった。

私、夏目漱石がすごく好きで、森田芳光監督も大好きだったので、松田優作さんと藤谷美和子さんが主演の『それから』(’85年)という映画がいまでも忘れられません。それが演じることの原点になっているのかもしれません。こういった世界観が好きだなって」

森田監督とは、その後、映画『失楽園』(’97年)で一緒に仕事をすることとなる。彼女の映画デビュー作でもある。

「森田監督の映画に出る前、『元気をあげる〜救命救急医物語』(’96年)というNHKのドラマで仕事を始めたんですね。いろんな地方出身の人が集まって、年齢もバラバラなところで同じ作品をみんなで毎日つくるというのがすごく楽しくて、できたできないは別として、そこで、このお仕事をもっとやっていきたいなって」