「なぜひとは自殺するのか?」に対して、120年前に出された答え

デュルケーム『自殺論』を読み解く
大澤 真幸 プロフィール

社会的自殺の3つの類型

つまり、自殺は社会学的に説明できるんだ、というのが『自殺論』の重要なテーゼになっています。

ふつうに考えると、自殺は多くの場合、個人的な理由によります。失恋したとか、大事な試験に落ちたとか、家族の中での葛藤とか、きわめてプライベートな理由、あるいはその人にしか理解できない理由で人は自殺する。

だから、自殺は、社会学的な説明には馴染まないように見えます。

 

しかし、自殺の量、自殺率は、結局、社会学的にしか説明できない、ということをデュルケームは、一生懸命論証しようとしています。

つまり、とても個人的・私的な自殺を含めて、自殺は一般に社会現象である、ということをデュルケームは論証したのです。

この本の特徴は、きわめてたくさんの統計資料を使っていることです。

いまでは社会学の論文では、統計資料を使うのが典型になっていますが、統計資料をふんだんに実証に使った──ヴェーバーも若干は使っていますが、この本ほどではありません──最初の本と言ってもいい。

つまり、現代的な社会学論文のスタイルの走りのような本なのです。

まず、いろいろな「非」社会的原因を退けていきます。たとえば、気象的な要因によって──たとえば春になったら──自殺率が増えるとか、遺伝的・人種的な要因があって自殺しやすい人がいるとか、あるいは自殺者にはおおむね精神病理的な人が多いとか、そういうよくある仮説を、統計資料を用いて、ことごとくうち消していく。

ちょっとおもしろいのは、「模倣」も原因として退けられていることです。これは、デュルケームのライバルのガブリエル・タルド(Jean Gabriel de Tarde,1843─1904)を意識した議論です。そして残ったのは、社会的要因しかない、ということになるわけです。

結論的に言うと、結局、デュルケームは「社会的自殺の3つの類型」という名高い説を出します。

訳語に何を使うかが難しいのですが、
自己本位的自殺(le suicide égoïste)
集団本位的自殺(他者指向的自殺, le suicide altruiste)
アノミー的自殺(le suicide anomique)
の3種です。簡単に解説しましょう。

デュルケームがどういう資料に基づいているかというと、ヨーロッパで見ると、たとえばカトリックが多いところとプロテスタントが多いところでは、プロテスタントが多いところのほうが圧倒的に自殺率が高いことを示す資料です。

後者は前者の2倍ぐらいになる。どうしてだろうか? あるいは、結婚している人と結婚していない人では、結婚していない人のほうが圧倒的に自殺率が高い。

カトリックとプロテスタントについて言うと、どう考えても教義には何の関係もありません。キリスト教的には、カトリックだろうがプロテスタントだろうが自殺はいけないことです。

孤立することで自己本位的自殺へ

ではなぜ、カトリックとプロテスタントの間で、自殺率に大きな差が出るのか。カトリックとプロテスタントの違いはどこにあるかというと、最も大きな違いは──デュルケームの考えでは──、プロテスタントは個人主義的だという点にあります。

たとえば、プロテスタントは自分一人で聖書を読む。勝手に読んで、自分で自由に解釈するのです。しかしカトリックはそれをやってはいけない。聖書の自由検討をカトリックは許しません。だから、読めなくてもいいわけです。

しかし、プロテスタントは自分で、自らの責任において解釈しなければいけない。そういうかたちで、プロテスタントは個人主義的な態度が形成される。

そういう個人は、共同体から切り離されている──今風に言うと、絆が弱くなる──わけです。プロテスタントの場合には、自分で孤独に世界と自らを見つめ直し、反省することが中心になりますから。このように集団から個人が分離しているとき、自殺が起きやすくなる。

こういう感じです。たとえば失恋はしばしば自殺の原因だと言われます。しかし実際には、失恋して自殺する人と、自殺しない人がいます。

プロテスタントのほうが自殺率が高いのは、もちろん彼らがカトリックの信者より失恋しやすいからではない。

わかりやすく言い切ってしまえば、失恋して落ち込んだときに、それを受け止め、慰めてくれる仲間がいる人と、その試練に自己責任において、究極的には孤独に立ち向かわなくてはならない人がいる。

後者の、孤立している人の間で自殺率が高くなる。このようなメカニズムが想定できる自殺、要するに社会統合が弱体化し、個人化が進行したことによる自殺、これが、自己本位的自殺です。

ちなみに、デュルケームはここでカトリックとプロテスタントの比較をやっていますが、ヴェーバーは、両者の比較をもっと徹底的に試みています。

ヴェーバーは資本主義の精神との関係で考えますが、どちらかと言えば、プロテスタントがもっているポジティヴな意図せざる結果に目を向けています。

それに対して、デュルケームはやや否定的で、プロテスタントがカトリックに比べて人間を不幸にしている、というニュアンスを感じます。

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