批評の神様・小林秀雄の仕事から見えてくる「日本の原点」

社会学の泰斗がふたりの知の巨人に挑む
橋爪 大三郎 プロフィール

―そうした、小林の「うまく届かなかった部分」を受けて、橋爪さんは宣長の思想について歴史的背景も詳述する方法をとっています。

こんなタイトルをつけておいて言うのもなんですが、私の学問的な関心の中心は、小林秀雄ではなく、本居宣長のほうに向いている(笑)。宣長の思想を自分なりに批評するために、あえて一度、小林の『本居宣長』を読み解いてみたというのが、実のところです。

本居宣長六十一歳自画自賛像(photo by wikipedia, public domain)

では、なぜ宣長を読まなければいけないかというと、彼の仕事が、今の日本を形作っている「合理主義」と「ロマンチシズム」の源流にあるからです。

本居宣長の国学は、日本の文学から中国文化の「漢意」を排斥し、この国本来の「大和心」を尊重した。その一方で、源氏物語をはじめとする日本の「文学的ファンタジー」についての思想の原点でもあります。

 

こうした宣長の思想は、日本のナショナリズムの源流として、平田篤胤の皇国思想や水戸学にも繋がり、明治維新の原動力の一つになりました。そして、その先に「軍国主義」があり、大東亜戦争があった。

―本書の序章では、皇国主義に流されるままに戦争へと突き進んだ時代を経験した小林の、忸怩たる胸中にも思いを馳せています。

本来、軍国主義とは極めて合理的なリアリズムに基づいた考えのはずです。すなわち、勝てる時に、勝てる相手と戦争して、最大限の利益を得る。

たとえば、現在の北朝鮮は軍国主義の国ですが、金王朝は軍備をちらつかせるだけで、決して戦争しようとはしないでしょう。やれば負けるとわかっているからです。

ところが、日本の軍国主義は、ロマンチシズムと結びついたことにより、合理主義ではなく「美学」になってしまった。だから、合理的な判断を置き去りにして、無謀な戦争に突き進んだわけです。そうして、無残な敗戦を迎える。

小林も、自らの戦争協力という負い目を、私からすると「たんと反省」していたはずなのに、ひねくれ者中のひねくれ者だから、率直には言葉にできなかった。

だからこそ、軍国主義の精神的支柱となった「宣長の思想」に挑戦することで、かつて皇国主義者たちに圧倒されてしまった自分自身を、もう一度取り戻そうとしたのだと思います。

―『本居宣長』は宣長の「遺言」を読むことから始まります。墓は2つ、墳墓の後ろにはヤマザクラを植えよ……。つい先日亡くなられた橋本治さんは、かつて著書『小林秀雄の恵み』の中で、宣長の桜への情熱を「恋」と表現しています。

宣長との相性は、小林よりも橋本さんのほうが良かったでしょうね。二人とも、ある意味オタク気質で、源氏物語に耽溺していた。よく似ているんです。

橋本さんの宣長論は読んでいてすごく面白いんだけれど、宣長についての批評はまだ始まったばかり。果てしない試みではありますが、この高い山への挑戦を、私は続けたいと思っています。(取材・文/伊藤達也)

『週刊現代』2019年3月23日号より