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批評の神様・小林秀雄の仕事から見えてくる「日本の原点」

社会学の泰斗がふたりの知の巨人に挑む

小林秀雄の「批評の限界」

―小林秀雄が最期に遺した著作『本居宣長』を、橋爪さんが真正面から「批評」した一冊『小林秀雄の悲哀』。戦後日本を代表する批評家の仕事に、今を生きる「知の巨人」が真っ向勝負を挑む。知的好奇心に突き刺さる論考です。

言うまでもなく、小林は日本において批評というものを確立した一番手であり、私にとっては、丸山眞男と並んでその仕事を整理したいと思い続けてきた存在です。

影響力の大きさゆえに、没後も著作に関する本が数多く出版されています。しかし、『本居宣長』については、きちんと整理がなされてこなかった。

あまりに大掛かりな仕事ゆえに、世間が受け止めきれなかった部分もあるのでしょう。何しろ、小林自身が「もう、終りにしたい。結論に達したからではない」と、宣長の仕事から「退却宣言」しているのだから、無理もない。

 

―小林秀雄の「ライフワーク」として紹介されることの多い『本居宣長』ですが、橋爪さんは本書の冒頭で、小林は「批評の限界」を味わったのではないか、と書かれています。そうした小林の限界をあえて語ることで、宣長の思想に一歩ずつ迫っていく鋭さが、ひときわ目を引きます。

一言でいうならば、小林秀雄は「傲岸」だったのです。富士山に登るくらいのつもりで宣長に挑んだら、その山はエベレストだった。宣長とはそれほどに天才的な、世界に通用する思想家であり、『古事記伝』には、明治以後の日本の思想を根底から支えるだけの「学問」としての強度があった。

それに対して、小林の批評家としての態度は、あまりにも素朴過ぎた。彼は、宣長の遺したテキストを読みこみさえすれば、「肉声」が聞こえてくると考えていましたが、そうした文学的な方法で宣長を批評するのは無理がある。宣長のテキストにあるのは、「肉声」ではなく「方法」であり「構造」なのですから。

宣長の学問に至るまでには、契沖から賀茂真淵という国学の流れ、朱子学から伊藤仁斎、荻生徂徠という儒学の流れというものがあります。

ところが、批評家としてあらゆる歴史的な立場から距離をとろうとした小林は、それぞれの思想には一応触れているものの、それらが宣長の学問にどうつながり、どう影響したのかには、深入りしようとしない。学者の書いたものを読み解くコツがつかめていなかったのでしょう。