美智子さまの亡き母・正田富美子さんが生前語った「驚きの回想」 

富美子さんの後悔と無念とは

4月10日、ダイヤモンド婚を迎える両陛下

4月10日、天皇・皇后両陛下は結婚60年を迎えられる。いわゆるダイヤモンド婚式である。4月30日に迫った天皇陛下の退位を控え、お祝い行事は内々のものだけくらいと聞く。けれど、まもなく上皇后陛下となる美智子さまにとって、皇室に嫁いでの60年という節目の日の感慨はとてつもなく深いことだろう。

ご成婚パレード。祝賀ムードでの本国中が沸きかえった

当時のニュース映像を見てみた。

「おとうさま、おかあさま、お身体、お大事にね……」

1959年(昭和34年)4月10日午前6時30分、当時、「池田山」と呼ばれていた東五反田(東京・品川区)の正田邸を出発する朝、美智子さまは、住み慣れた自宅の門の前で、かぼそい声で両親への別れを告げていた。

「これからは陛下と殿下の御心に添って生きるように」

父・正田英三郎さんがそう伝えるなか、母・正田富美子さんは目頭を押さえていた。美智子さま24歳。民間から初めての皇太子妃となる朝だった――。

その正田邸跡に、美智子さまのゆかりの木と御歌が残されている。

「四照花(やまぼうし)の一木覆ひて白き花咲き満ちしとき母逝き給ふ」

現在は「ねむの木の庭」という公園となった一角に、そう記されたプレートが掲げられている。

出だしは「やまぼうしの ひとき おほひて」と読み、「白き花 咲き満ちしとき」につながる。美智子さまの挽歌だ。母・正田富美子さんが亡くなられた後に読まれた歌である。

 

美智子さまの母・正田富美子さんは、31年前の1988年(昭和63年)5月28日、入院していた聖路加国際病院(東京・中央区)で亡くなった。腎不全。78歳だった。美智子さまが、まだ皇太子妃殿下であった時代の深夜のお別れだった。

1909年(明治42年)、佐賀士族の副島家に生まれ、1929年(昭和4年)、19歳の時、正田英三郎さん(のちに日清製粉社長、会長となる)と結婚。美智子さまを含め、2男2女を育て、民間から初めて皇室へ嫁ぐ皇太子妃の母となった人物だ。その逝去の現場に、当時、女性週刊誌の皇室担当記者だった僕もいた。編集部は同じ中央区の京橋にあり、「危篤」との一報ですぐに病院へ駆けつけた。

「やすらかな静かな死でした」臨終に臨まれ、病院を出る美智子さまの沈痛な表情が今も忘れられない。当時の東宮侍従を通じてそんなお気持ちを伝えられた。ちなみに、富美子さんを看取った医師は、一昨年7月に亡くなった日野原重明さんだったことを思い出す。