命を選別せざるを得ない苦しみ

かといって、選ばなかった=見殺しにしてしまった動物たちの顔は、ずっと忘れることはできない。一頭一頭今でも鮮明に覚えている。中でも想い出深いのは、2015年の夏の出来事だ。

その夏は、仔猫の収容がとても多かった。仔猫の収容スペースは少ないが、つきっきりでミルクや排せつの介助が必要になるため、ケアしてくれる人員確保に追われていた。私の施設も収容数がいっぱいで、人手もない。そんな余裕のないときに、状態の悪い22頭の猫たちが動物愛護相談センターへ収容された。私が引き取らない猫は、翌朝一番で致死処分が決まっていた……。無理をして5頭ならと、選んで引き取ることにした。

地域猫を保護していた高齢者が飼育できなくなり、収容された猫たちだった。ウサギ用や小型犬用の小さなとても汚いケージの中で飼われていて、人馴れもなく、高齢の猫が多い。どんな猫でも助けたい。しかし、こちらにもキャパがない……。断腸の思いで、先を考えなるべく若くて触れそうな子を助けよう、と1頭ずつチェックをすることにした。小さな保護箱に移し替えられた猫たちは、一様に恐怖のあまり奥の暗がりで、体をこわばらせギュッと固まってよく見えない。

「お願いだから、顔を見せて。助けられるかもしれない。じゃないと明日死んじゃうんだよ、お願い」

動物愛護相談センターの湿ったコンクリートの床に膝をついて覗き込んだ。何度も何度も見返して、5頭を選んで連れ帰った。しかし、気持ちは晴れない。

一晩中、自分の選択に自信が持てず、「もっとよく猫を選ぶべきだった」、「無理をしてももっと引き出すべきだった」と後悔をした。結局あきらめ切れず、眠れぬまま翌朝一番に再度センターを訪問し、処分の前にさらに5頭の猫を引き取った。これが私が引き取れる限界だった。私がセンターを出たあと、残りの12頭はその日処分されたという。

命を選択するなんて現場は本来あってはならない。本音を言えば全頭引き上げ助けたい。でも、そうすれば、自分の施設にいる動物たちに別の苦しみを与えることになる。この葛藤は動物ボランティアをしていてもっともつらいことだ。

しかし、私以上に苦しい気持ちを抱えているのは、殺処分を行う行政の職員だ。殺処分の朝、猫たちがいたケージを見ると、中にはおいしそうな猫缶が少し残っていた。「最後にせめて美味しいものを食べさせてあげたかったから」とうつむく彼らの苦しみも私たちは、理解しなくてはいけないと思う。

ボランティア任せでは、飼育放棄は終わらない

ボランティアがきっとどうにかしてくれる、では動物放棄問題は解決せず、新たな問題が生まれるだけだ。写真提供/友森玲子

冒頭で、ひっきりなしに電話してくる、犬猫の引き取りを強要する人たちの話をした。そういった方々に、「うちでは引き取れません」とお話するのはこういった背景があるからだ。

「飼えなくなったから面倒をみてくれ」を簡単に許してしまったら、より緊急性が高い状態の動物を救えなくなる。動物ボランティアの収容数も人員も無限ではなし、便利屋さんでもない。

「動物の面倒なことはボランティアに任せる」ではなく、自分たちでできることは極力自分で行ってほしいと思う。簡単に、もう飼えないと手放す前に、何か策はないかじっくり考えてほしい。そして、動物と暮らしている人は、自分に何かあったとき、万が一のときにきちんと面倒をみてくれる人がいるかを事前に確認し、確保する必要がある。また、これからペットを飼う人は、衝動的に決めるのではなく、20年以上の寿命と合わせて最後までケアできるかを考えて、飼育を選択してほしい。

ペットショップの生体販売問題など、行政も交えて法改正しなくていけない問題も多い。しかし、同時に個々の意識も変わらなければ、動物放棄は終わらない。命の選別がない時代は、私たち人間が作らなければならないのだから。