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〈あくまで思考実験です〉スピード違反は何キロまで許されるのか?

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
多くの大反響をいただく東大教授への「無茶ぶり」エッセイ、今度のお題は「不文律」。佐倉統先生は、ロボットと社会秩序を両立させるカギとして「不文律」を考えるものの、議論は「スピード違反、ギリギリOKはどのラインか」と意外な方向へ展開する。どうして──?

家庭も巨大社会も、秩序は不文律で保たれる

AIは不文律をマスターできるのか?

昨今のAIブームと同時に、将来的に人の職業がAIに奪われるのではないかという不安があちこちで話題になっている。

たしかに、人が処理しきれないほどの膨大なデータを総覧して、明確な目標に適した判断や推論をおこなうのはAIは得意だから、そういった作業は人工知能に置き換わっていく可能性は高いだろう。

だが、不文律への対処はどうか? AIは不文律をきちんと守れるのだろうか?

世の中に不文律は多い。ものすごく多い。いったいどれくらいの数の不文律があるんだろうか? どなたか御存知でしたら教えて下さい(そもそも、不文律の数え方って、どうやるんだろう?)。

社会を動かす規則は、明文化されている法や規則だけではない。これら(おそらく)無数の不文律が必要不可欠である。

だけど、不文律はその名の如く明文化されていないからその存在に気づきにくいし、ときにしばしば、自覚化されないまま、社会の無意識下で作動していたりする。

また、ある不文律を共有する社会の大きさもさまざまで、日本文化全体に共通する不文律(たとえば、家の中では靴を脱ぐ)もあるし、我が家だけで通用すると思われるものもある(たとえば、使い終わった後のドライヤーのコードは隣の籠に決して入れてはならない[理由は省略])。

しかし、どの不文律も、その社会を円滑に運営するためには不可欠である点では、明文法と変わりはない。

ちなみに、不文律でも罰則の根拠になることが社会で共有されていれば慣習法あるいは不文法と呼ぶ──すなわち「法」として扱われる──らしいが、法に含まれるかどうかにかかわらず、不文律が社会の秩序を構成する重要な要素であることに変わりはない。

(「ドライヤーのコードを隣の籠に入れてはいけない」という佐倉家の不文律第47号は、あまりにしばしばぼくが破るため、ついに妻がその旨を書いた張り紙をした。これは不文律が成文化されたことになるのか??)

ドライヤーならばこれでもいいというのか Photo by iStock

AIはゲームに勝つことはできる。だが…

さて、なので、これからАIやロボットが実社会に普及して人間と直接やりとりしていく機会がどんどん増えていくと、適切な不文律をしっかりと身につけさせておくことは不可欠である。ここをクリアできなければ、AI/ロボットが社会で活躍することはできない。

なので、冒頭の問いに戻る。AIは不文律をマスターできるのか?