マザー工場としての日本の工場よりも何倍も(従業員数は)大きい工場がたくさんある。進出が早かった工場は1990年前後にスタートしている。日本はバブルの真っ盛りのころである。原因は人手が足りなかったからである。労働力の確保のための進出が多かった。賃金も日本の高卒労働者が月額で15万円のころ、8000円くらいだった。

次に進出が盛んになったのは2000年前後からだった。中国への進出が中心になった。そのころにはASEANも中国も現地の産業が発達して、途上国から「離陸」をして(いわゆる中進国になり)、家電、バイク、そして乗用車がどんどん売れ、国民生活のレベルは日本の1960年代の前半のようになった。今はマレーシアやタイなどは、国によって若干異なるが高卒の賃金が3万円を超えている。

そうした結果、今はどうだろう。例えば、タイなどに行くと、日本のバブルのころの労働力事情と似て来ており、建設現場や港湾作業などは、近隣の国境地帯に住む少数民族や、ラオスやカンボジア、ミャンマーといった国からの「外国人労働力」の流入が目立つ。自国あるいは生まれ育った地域では日本円で月給1万円にもならないが、タイで働けば3万円を超えるからだ。

そうした10年単位くらいの時間差による「働き方の異なり」をみていると、短期的な視点で、政府が「働き方改革」の政策を進めても、ことを仕損じるのではないかという危惧を抱いている。日本の漁村や農村は、いまや外国人労働者抜きには成り立たなくなっており、日本人の長期雇用正社員、非正規雇用、そして「3年から5年という期間限定」の外国人…と、雇用形態が様々であり、一律はとても無理である。

「働き方」より「暮らし方」を重視せよ

中小企業だけを見ても、これだけ働き方が多様であることからもわかるとおり、「働き方改革」の方法論は限られる。

しかし、そうした複雑な中でも一つだけ大切なことが言える。それは、仕事のメリハリである。週に2日はノー残業デーを定め、有給休暇は全部取得する、といった基本を守ることが大切だ。基本だからとバカにしてはいけない。他方で、仕事量を減らさないで残業だけを禁止する会社は最悪だが、「生活残業」に固執するビジネスパーソンも困るのである。

いま問われているのは「働き方」よりは「暮らし方」である。

仕事それ自体が楽しいという人もいるだろうが、自分のプライベートな時間をどのように過ごすは、個々人の「人生の選択」である。生活残業が必要な人もいるだろうが、子育てや家族との時間を大切にするために、早く帰りたい人もいるだろう。

それゆえ「一律」に時間管理はできない。もちろん労働法に違反するのは論外だが、正規の勤務時間以外はなるべく個人の自由を認めることが望ましい。各々の「暮らし方」を尊重し、それにあった対応をするーー当たり前のことを言っているようだが、この「個人の自由」を認められず、常に滅私奉公的な働き方を求められてきたことが、日本の企業の問題であった。

ただ、筆者は1500社ほどの職場を訪ねて来たが、小規模な個人の事業所は、パンセやペリカンのような職場はけっこう多いものである。大企業は改革できるが、中小企業は難しいといった意見もあるが、企業規模の「大」「小」は問題ではない。決して「中小企業だから働き方を改革できない」などということはない。

また大企業の場合は幾つもの事業を抱え、部門も多岐にわたっているため、一律には「改革」は出来ないこともある。

ようするにケースバイケースなのだ。

結局のところ大切なのは、各人の生き方、暮らし方である。自分働き方、時間の守り方、仕事の仕方などが、他者の生き方、働き方に関係し、場合によっては迷惑をかけているかも知れない、という想像力が求められている。自分がよく生きるためには他者の時間を尊重せねばならない。