東京タワー開業以来60年続いたそば屋が静かに閉店した事情

「さつま」が見てきた昭和、平成の風景
竹田 聡一郎 プロフィール

3月10日、惜しまれながら「さつま」営業終了

残念ながら龍男さんは10年前に亡くなっている。二人には息子さんがいるが、既に他の事業で大きな成功をおさめているため、「さつま」を継ぐことができない。後継者がいないのが閉店の直接的な理由だ。

また、東京タワーを取り巻く環境もこの10年で大きく変わった。訪れるのは半数近くが外国人観光客となり、飲食店で働く従業員に外国人が増えたのもちょうど10年ほど前からだと慶子さんは言う。

 

「今はもう、ほとんどの従業員が外国人です。うちはミャンマー人が多いですね。信仰に厚い仏教国だからか、みんな真面目で心がきれい。彼ら彼女らの働き口がなくなるのも申し訳ないです」

「さつま」の味は変わらないが、時代は少しずつ、確実に動いてゆく。

スカイツリーの完成で、東京タワーは日本一の称号を奪われ、地デジ化では電波塔としての役割が小さくなった。

それでも、と竹下さんは言う。

「スカイツリーもきれいな建物ですけど、私にとっては、今でも東京タワーこそが日本のシンボル。世界の東京タワーに私の店がある、というのは本当に誇りでした」

3月10日、「さつま」最後の日。東京は晴天で気温もそれほど低くない過ごしやすい日曜日だった。

東京タワーでは、高さ150mのメインデッキに本物の桜を展示するイベント「東京タワーお花見デッキ」開催中ということもあって、多くの人で賑わい、訪れた人々は首都の全景と一足早い桜を堪能していた。

そののち、創業時には「名店街」と呼ばれていた、ビル2階の「フットタウン」で食事をする観光客の姿もちらほら見られた。

「さつま」には、忙しく接客する竹下さんの姿があった。閉店の報を聞きつけ、次々と訪れる常連客やかつての取引先の担当者と言葉、握手、ハグを交わす。最後の客には特に深々と頭を下げた。

「そりゃ、さみしいですよ。盆も正月も夏休みもなく、ずっと働いていたんだもの。東京タワーと『さつま』は、私の人生そのもの。さみしすぎて、しばらくタワーには来られないかもしれない。でも、今日もお客さんに『美味しかったよ』と言ってもらえました。この50年間、世界中のお客さんからいただいた『美味しかった』は私の宝物です」

東京タワーの広報担当者によれば、さつまの後に入るテナントは「まだ未定」とのことだ。それについて竹下さんは「私がどうこう注文をつけられる立場じゃないけれど」と前置きした上で語る。

「東京タワーは日本のシンボルだし、外国人観光客の玄関口。どんな店ができても『ようこそ、東京へ』という真心を込めた接客をする店であってほしいですね。私の番は終わり。さみしいけれど、とても楽しかったです」

開業以来2度目の五輪と3つ目の元号を迎える東京タワー。そのなかで、地元のサラリーマンたちの、そして東京を訪れる観光客の胃袋を、60年間「飾らない普通の味」で満たし続けた老舗食堂の灯が静かに消えた。