24歳のとき、レーシングドライバー太田哲也さんと結婚して大手百貨店を退職したのち、夫がレース中に大怪我にあい、介護生活をしていた太田篤子さん。現在、哲也さんは見事に快復してモーターブランドの会社を設立、モータージャーナリストとして活躍している。

篤子さんもフルタイムで働き、その合間を縫って10年以上に渡り母親との旅をするようになった。そのノウハウを『母とヨーロッパへ行く 母+娘=100歳~の旅』にまとめているが、注目すべきは「高齢の母がどんどん元気になり、自分もどんどん元気になっている」ということ。元気になる旅の実現力は、長年夫を看病した経験と実は密接な関係があった――。

なぜ高齢の母と旅に出るのか

2人合わせて110歳オーバー。わたしたち母娘の大人旅がスタートしたのは、母が60代後半、わたしは40歳を過ぎたばかりのころでした。それから10年あまり、現在は2人合わせて130歳を超える組み合わせですが、ありがたいことに母は年1度の旅行を生きがいに、年齢相応の体力低下と膝痛を抱えながらも、元気でいてくれています。

この春に娘が社会人となり、晴れて子育てを卒業したわたしにとっても、母との旅はこれから先できるかぎり長く続けていきたいライフワークのようなものになりました。

自分としては親孝行の意識はなく、自らの趣味と高齢の母が喜ぶことを合体させたイベントとして楽しんできた母娘旅。そのノウハウを『母とヨーロッパへ行く 母+娘=100歳~の旅』という本にまとめたところ、読んでくださった方から「高齢者を気遣った旅が上手なのは、夫を介護した経験があるからでは?」というご意見をいただきました。最初は意外に感じるご指摘だったのですが、よくよく考えてみると、確かにそうかもしれないと感じたのです。

わたしの30代前半は、夫の看病にほぼすべての時間を費やされました。

夫の太田哲也は1998年、レーシングドライバーとして参戦していたレースで衝突事故に巻き込まれ、全身大火傷という瀕死の重傷を負いました。それから約3年かけて計23回にも及ぶ手術で皮膚の再建を行ったのですが、その夫の看病生活で当時の記憶はほとんど埋められています。

だからこそ、夫が社会復帰を遂げ、2人の子どもたちが中高生になったころ、出向いた海外出張先で「自分がまた外国に来られるようになるなんて」という感動が大きかったのです。そして、それがきっかけとなり、高齢の母を誘って海外旅行に出かけるようになったのでした。

夫の看病生活から得た「切り替え力」

わたしの人生においては試練とごほうび、いわば対極にあるものとして捉えていた2つの事柄に、実は不思議な関連性があるのかもしれません。夫の看病生活と高齢の母との海外旅行、たしかに意識の持ち方や行動において、いくつかの共通点があるように思います。

まず1つには、わたしは他人から見れば大変そうと見られる立場であっても、ちょっとしたことで息抜きやストレス解消ができるということ。

夫の看病では、夫をお風呂に入れ、傷口に何種類もの薬を塗り分けて全身に包帯を巻くという作業をわたし1人でやっていた時期があり、それは1回の作業に3、4時間もかかるような生活でした。

耐え難い痛みや痒みから夫が感情的になることも多く、それがどうしても辛いときは、15分だけでも隣の家にお邪魔させてもらい、奥さんと他愛もないおしゃべりをするようにしていました。すると帰ってくるときには口笛なんて吹いていて、自分で驚いたことがあります。

たった15分の休憩をはさんだだけで、体に重くのしかかっていた荷物を下ろせてしまう「切り替え力」、別の角度から見れば「スルー力」とも言えるそれは、生まれ持った性格というより、その状況を生き抜くために自分なりに工夫した気持ちの持ち方だったように思います。

いずれにしても体の自由が利かない相手を前にしたら、自分が動くのは当然のことだし、わたしとしても夫の傷口が昨日より今日、今日より明日と、ほんの少しでも快復すればそれだけでうれしく、達成感が得られたからこそ続けられたのです。この「小さな達成感の積み重ね」こそが尊いものなのです。このように心からの幸せを感じる瞬間は、母との旅行でもたびたび味わいます。