3月8日、大阪府の松井一郎知事と大阪市の吉村洋文市長が辞任し、知事・市長候補を入れ替えてダブル選に望むと表明した。争点は大阪都構想の是非だ。
この動きについて、翌9日の新聞各紙の社説を比較してみよう。
朝日と毎日は特に維新に批判的な論調であるが、その他の新聞も、今回のダブル選の意味をあまり見いだしていない。
選挙こそ、民主主義の基本であることはいうまでもない。選挙なしで行政で様々な問題を処理できればいいとが、それは民主主義制度の下においては「ない物ねだり」である。
これまでの松井・吉村コンビの業績を疑問視する向きもあるが、両者は大阪府・大阪市の行政において協力し、今年6月のG20、2025年の大阪万博の誘致を確実にした。IR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致も、大阪が最有力視されていることを鑑みれば、大阪地域では傑出した業績を上げてきていると評価してよいだろう。
万博誘致など、両者が対立していた橋下徹府知事と平松邦夫市長時代には、誘致はおろか立候補すらできなかっただろう。
それでも疑問を持つ人は、他の成果について、昨年12月20日の副首都推進本部会議で報告された資料を参照してみてほしい(http://www.pref.osaka.lg.jp/renkeichosei/fukusyutosuishin/fukushuto16.html)。
この大阪府と市の両者の協力関係を、現在のような「属人的なもの」から、制度化し、大阪がさらなる飛躍を遂げるための土壌を整える。それが「大阪都構想」の根幹であり、その是非を問うための選挙、ということだ。
筆者のような東京人からみれば、大阪の二重行政の弊害は大きくみえる。「大阪都構想」を実現して、その弊害を解消することは当たり前だ。しかし、実際に「大阪都構想」に反対する政治勢力が存在している。反対する政治勢力がいる以上、行政で処理できない問題となるので、政治で決着するしかないわけだ。
「大阪都構想」は2015年の住民投票で否定された。しかし、その後、松井府知事も吉村市長も、「大阪都構想の実現」を掲げて府知事・市長に当選している。そのため、彼らにとってその実現は政治家としての使命だと言えよう。そうでなければ、両氏に投票した人を裏切ることになる。もちろん、これは民主主義プロセスを経て決着すべき課題だ。
こんな当たり前の話についてすら書いていない新聞なんて、読んでも無駄だろう。住民不在というが、そもそも民意を問うための選挙が「住民不在」のはずがない。